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歌うマルコ・パンターニ先輩

マルコ・パンターニ―海賊(ピラータ)の生と死

マルコ・パンターニ―海賊(ピラータ)の生と死

稀代のビアンキ・チクリスタ、マルコ・パンターニ先輩の伝記本を読んでるんですけど、パンターニ自らが作詞し、歌った曲があるという記述を発見。まじかそんなのあんだ、と思ってggったら、ありました。これか。胸熱。


marco pantani:e adesso pedala

なんだそりゃと思いながら観ましたが…かっこいいじゃん!さまになってる!!
ラップのライムもフローも良い感じですね。イカス。

マルコは1995年のミラノ〜トリノのワンデーレース中にコースを逆走してきた車と正面衝突し、リハビリ中の1996年にはジロディタリアを無念の欠場。しかし既に人気者だったパンターニは、なんとジロディタリアの放送権を持つテレビ局にこの年の放送テーマ曲を依頼されてエンターテナーぶりを発揮、という流れらしい。

リリックは自分で書いたみたいですね。「ペダロ!ペダロ!」のとこがすき。
そういえば、学生の頃にイタリアに憧れて、NHKイタリア語講座をテキスト買って観たりしてたなあ。さっぱり忘れたけど。サイクルロードレース熱とともに、またイタリア語を勉強したいなあとかちょっと思ったり。

しかしこれも、ネット上で日本語訳を探してもみつからないですね。
僭越ながら、少し翻訳を。自転車愛、レース愛のあふれるリリックになっております。

E ADESSO PEDALA -Marco Pantani & Marcello Pieri
Apro gli occhi e sono su
il gruppo e lontano non lo vedo già più
pedalo pedalo arrivo alla cima
al Tour e alla Vuelta penserò domattina
la rabbia mi spinge mi porta distante
in salita e in discesa mi mangio un tornante
dietro e davanti mi applaudono in tanti

Vorrei restar sempre così
in maglia rosa e poi
in mezzo le moto sorpassano
la fatica tocca solo a me
ma ho voluto la bici e adesso

E adesso pedala
la bici l'ho voluta io
e tiro la volata ormai

眼を開き、上り続ける
集団ははるか後方、俺の独走だ
回せ!回せ!山岳の頂上目指して
ツールやブエルタのことは少し忘れよう
衝動が俺を掻き立てる
アップヒルダウンヒル、ヘアピンカーブも食い尽くす
前から後ろから拍手と称賛に包まれる

マリア・ローザは俺のもの
涼しい顔したオートバイが俺を追い越していき
俺だけがこんなに汗をかいて必死に自転車をこいでる
でもずっとこれを待ち望んでたんだ

そして俺はまた自転車をこぐ
これを待ち望んでたんだ
そして最後まで自転車をこぐ


e adesso pedala, sigla pantani giro 1996

ズートピアほんとすき

ズートピアの家庭用メディアが発売された。

ズートピアの面白さ、それは観てるだけで楽しくなっちゃう動物たちの世界観であり、それが全てである。この映画は10年に1本の傑作だ。ちなみにその前の10年の傑作はニモだった。またディズニーアニメか。まあいい。もう10年くらい経つよねニモ。ニモの映像表現の衝撃もやばかった。ニモの冒頭の、初めて学校いくときの道中でさ、海の中のいろんな生き物の日常世界が描かれるじゃん。あのシーン最高だよね。スクーバダイビングとかやってるとさ、海の中って、本当にあんな感じなんですよ。あっちこっちで、いろんな形をした、いろんな大きさの、いろんな生き物が、それぞれ交わったり交わらなかったりしながら、生きてんの。それを見事に描いているよね。あのイソギンチャクが海中で揺れる感じとか、海底に映る水面の揺らぎの表現とかも、まじすごい。現実以上にリアル。変な言い方だけど。ニモのDVDも何回みたことか。

違った。ズートピアの話だった。

ズートピア、あれも冒頭の、ジュディが列車に乗ってズートピアにいくシーンが最高だ。寒い地域とか、暑い地域とか、熱帯雨林とか、そういう異なる気候を、おそらくは高度に発達した科学技術によってひとつの街の中に共存させ、いろんな形をした、いろんな大きさの、いろんな生き物が、一緒に暮らせるように工夫された世界。あのシーンを思い出すだけでワクワクしちゃうよ。最高だよね。


『ズートピア』予告編

ズートピアの面白さを語るにはこれで充分だ。作りこまれた世界観と、圧倒的な映像表現、楽しい音楽。それだけでこの映画には充分な価値がある。

以上。


というわけで、この映画について、「ストーリーが意外と深い」とか「差別や偏見の描写」なんかをネチネチと語るのはナンセンスだと思っている。一緒に観に行った6歳娘は「意外と深い」とか思ってるわけないが、彼女もズートピアがだいすきになった。それはあのかわいらしい動物たちと、楽しい映像表現、楽しい音楽だ。映画をすきになる理由なんてそれが一番ただしい。それ以上でも以下でもない。

でもちょっとだけ、ちょっとだけいってしまうと、やっぱり差別とか偏見とかの描写について、ちょっと説教くさいと思うものもなくはないけれども、関心するものも多い。

強烈なインパクトなのはあのガゼルだ。ガゼル。ズートピアの劇中では、知的でセクシーなセレブリティシンガーとして登場する。みんなが憧れ、認める国民的大スター。


Shakira - Try Everything (Official Video)

冒頭では、警察官としての夢と大志を抱いて街にやってきたジュディを、巨大スクリーンの向こうから歓迎する。街が混乱した際にはオピニオンリーダーとなり、最後にはプロフェッショナルなパフォーマンスで大団円を強力に演出する。その声を演じ、歌うのはシャキーラシャキーラはまさにラテン系のセクシーな歌って踊れる実力派歌姫、ガゼルというキャラクターを強力にバックアップする。この映画の監督がどっかのインタビューで、「ガゼルは、誰でも夢が叶えられる街、ズートピアの最も象徴的な存在だ。」と語っていたのを読んだことがあって、最初はちょっと意味がわからなかったが、そういえば名前が、ジュディは「ウサギ」じゃないしニックも「キツネ」じゃないが、ガゼルは「ガゼル」だ。これはたぶん偶然ではない。ジュディとかニックとか、太郎とか花子とか、そういう、性別を示唆せざるを得ない名前があのキャラクターにないのは、たぶん偶然ではない。このガゼルの立派な角、これは実は、オスだけが持つものだ。つまり、彼女は男性なのだ。いわゆるトランスジェンダーだろう。劇中では触れられないが。

この映画の監督は、ゲイであることをカミングアウトしている人物だ。幼い頃のトラウマ、そしてずっと本当の自分を押し殺し、周りと衝突を避けるための役を演じながら生きてきたニックの苦悩は、おそらく監督がゲイであることと無関係ではない。冒頭のジュディが演じる劇の舞台に大きな虹が架かるのも、おそらく米国で虹がLGBT社会運動の象徴として使われていることと無関係ではない。ジュディのお隣さんとなる男性二人を、同姓カップルと考えるのは自然だろう。

そういう多様性を、ズートピアは描きまくっている。形とか、大きさとか、肌の色とか、肉食とか、草食とか、そういうある意味わかりやすい外見や分類の多様性だけでなく、内面的な多様性にも切り込んでいる。

この映画は、偏見や差別に基づく破壊と再生の物語でもあるが、この映画のすごさはやっぱり、そんな多様性の中で理解しあい、手をとりあって生きていくことの楽しさ、素晴らしさを、言葉ではなく、圧倒的な映像で表現している、冒頭のあの、ジュディが列車に乗ってズートピアにいくシーンにある。寒い地域とか、暑い地域とか、熱帯雨林とか、そういう異なる気候を、おそらくは高度に発達した科学技術によってひとつの街の中に共存させ、いろんな形をした、いろんな大きさの、いろんな生き物が、一緒に暮らせるように工夫された世界。ああ、やっぱり、多様性って良いよね!違うって、ワクワクするよね!違うもの同士が手を取り合って一緒に暮らすって、素敵なことだよね!ということを、説教臭い理屈や理論ではなく、映像によって圧倒的な説得力で焼き付けられる。

と思う。

いやー、映画って、ほんとにいいもんですね。


ズートピア主題歌 「Try everything」 - Shakira <日本語字幕>

ランス・アームストロングのドーピング告白インタビュー・日本語書き起こし

なんだかんだいってもサイクルロードレースファンにとって無視できない、(元)サイクリストのスーパースター、ランス・アームストロング

毎秒が生きるチャンス! ナリッシュブックス

毎秒が生きるチャンス! ナリッシュブックス

プロのサイクリストとして頭角を現し始めたころに精巣腫瘍が発覚、脳にまで転移した癌を手術で克服した後に、執念のリハビリとトレーニングを経てプロのサイクリストとして奇跡の復活、どころか世界最大のサイクルロードレースであるツールドフランスで優勝、にとどまらずそのまま前人未到の7連覇。私生活でも幸せな結婚をし、凍結保存していた精子を用いた人工授精により3人もの子供に恵まれるという、本当にそんな話あんのかよっていうくらい神懸りまくったスーパースターの、決意のドーピング告白インタビュー。

このオプラ・ウィンフリーによるランス・アームストロングのインタビュー、意外なことに、インターネットを探しても全文の日本語訳がみつかんないんですよね。サッシャさんがtwitterでtsudaったのとか(これ)、全体の要約みたいなの(これとかこれとか)はあるんですけど、全文書き起こしの日本語訳が、意外とみつかんない。

いやいやなんでないの、あった方がいいでしょ、インターネットに。

というわけで、僭越ではありますが全くないよりはマシだろ、ということで、日本語訳を書いてみました。私なりに何回も観て聴いて書き起こしましたが、そんなに自慢できるほど英語が得意なわけではないので、間違ってるところもあると思います。ツッコミ歓迎ですし、というかむしろ、「こんなヘタクソな訳よんでられるかっ!」という方がカッとなって、もっと洗練された全文日本語訳をつくってネットに公開してくれることを密かに願っています。

インタビューは全体で2時間以上あるので一気に全文というわけにはいかず、続きもできる範囲でやっていきたいなと思っていますがどうなるかはわかりません。

それでは途中までですが、どうぞ。

英文書き起こしはこちら


Lance Armstrong on Oprah Part 1


オプラ:私たちは今、テキサスのオースティンにいます。数日前、あなたは話をしたいと連絡をくれましたね。直接に、正直に、率直に、質問に答えるつもりだ、と。そうですね。

ランス:そうだね。

オプラ:そして先日、私たちは会って、条件や制限なく、ざっくばらんなインタビューをしようと約束しましたよね。

ランス:ああ、それがお互いにとって最善だと思う。

オプラ:そうね。それでは始めましょう。まずは、世界中の人が答えを待っている質問をします。まずは、ただ「はい」か「いいえ」で答えてください。

ランス:わかった。

オプラ:私たちが多くの時間を費やしてきたこの議論、「はい」か「いいえ」で答えてくださいね。あなたは、サイクリング能力を向上させるために、禁止薬物を使ったことがありますか?

ランス:はい。

オプラ:あなたが使った禁止薬物のうちに、EPOは含まれますか?

ランス:はい。

オプラ:サイクリング能力を向上させるための血液ドーピングをしましたか?

ランス:はい。

オプラ:テストストロンや、コルティゾン、ヒト成長ホルモンなどの禁止薬物は使いましたか?

ランス:はい。

オプラ:あなたのツールドフランスでの7年間の勝利の間、これらの禁止薬物や血液のドーピングを行っていましたか?

ランス:はい。

オプラ:ドーピングなしに、ツールドフランスを7連覇することが可能だと思いますか?

ランス:…いいえ。私の意見では。

オプラ:では、いつからドーピングしていたの?

ランス:「はい」と「いいえ」だけで答えるのはもう終わり?

オプラ:ええ、終わり(笑)。

ランス:私のキャリアの初期の頃にはもう、みんなコルティゾンやEPOを使っていたよ。

オプラ:いつからドーピングしていたの?

ランス:私が?それとも…

オプラ:あなたが。

ランス:90年代中ごろ。

オプラ:あなたはこれまで長い間、挑発的に、厚かましくもそれを否定し続けてきたわよね。なぜ今になってそれを認めようと思ったの?

ランス:もっともな質問だ。理にも適ってる。的確に答えられるかどうかわからないが…、とにかくもう手遅れだよね。多くの人にとってもう手遅れだ。もちろん私のせいだ。私は何度も嘘を繰り返してきたし、あなたが言ったように、否定し続けてきた。

オプラ:あなたは傲慢だわ。ずっと他人を嘘つき呼ばわりしてきたわよね。

ランス:その通りだ。私はもちろん、ずっと真実を知っていて、ずっと嘘をついていた。私がこれまでずっといってきたことは真実ではなかったが…今、やっと言えた。この作り話は、物語としては完璧だった。癌を克服し、ツールドフランスを7連覇し、幸せな結婚をして、子供に恵まれて、、、神話的なほどに完璧な物語だった。でも、真実ではなかった。

オプラ:真実ではなかった?

ランス:真実ではなかった。何重もの意味で。

オプラ:その物語を追い続けるのが困難になった?

ランス:不可能さ。私はもうボロボロだ。嘘をつき続けるなんてとてもできない、よくわかった。これまでは認めることができなかったが、今やっと、言えた。

オプラ:でも、ずっとやってきたのよね

ランス:そうだ、嘘をついてきた。多くの人間がね。あ、いや、私のことは全て私の責任だが、でもこの物語の背後には、そういう風潮があったんだ。ファンも、マスメディアも、その勢いに乗っていた。私は夢中でその勢いに乗った。そして人生を賭けてきたんだ。

オプラ:そしてずっと嘘をついてきた?

ランス:そうだ。自転車に関してはね。でもやっと、この物語は実はとても醜悪なんだとわかったよ。

オプラ:ドーピングしなければ勝てなかったと言ったわよね?

ランス:そうだ、私の世代はもう…いや、同じ世代の他者について話すためにここにきたわけじゃない。それはもうよく語られているしね。とにかく、私がこの文化をつくったわけではないんだ。でも、私はその文化を止めることもしなかった。それは私の間違いで、後悔している。そして自転車競技自体が、大きな代償を払うことになってしまった。とても残念だ。…でも、他の誰もやっていなかったことを、私だけがやっていたわけじゃない。

オプラ:…そう。ちょっとこのメモを読むわね。私は米国反ドーピング機関、USADAの164ページに及ぶ報告資料を読んだわ。CEOのトラヴィス・タイガートによれば、あなたとあなたのチーム、USポスタルサービスは、「スポーツ史上かつてない、最も洗練され、専門的で、継続的なドーピング・プログラム」をうまくやり通した、とされているわ。そうなの?

ランス:…違う。それは違う。「スポーツ史上かつてない」っていうのは…。私のドーピングは確かにとても専門的で、抜け目なかったけれど、なんというか、とても保守的で、危険を避けたものだった。ドーピングは私にとってとても重要だったけれど、それが、例えば東ドイツで70年代や80年代に行われていたドーピング・プログラムよりも大規模だったか、といえば、それは違うよ。

オプラ:なるほど。あなたがドーピングの頂点を極めていたわけではない、というのね。

ランス:そうだ。

オプラ:どんな文化だったの?説明してくれる?

ランス:それは…いや、もう一度いうけど、他の誰かを責めるようなことは言いたくない。私は、私の意志でドーピングしたんだし、それは全く私自身の過ちであって、それを認めて謝罪するために今日ここにきたんだ。

オプラ:でもみんなドーピングしてたんでしょ?知ってるわ。

ランス:それは…いや、全員がやってたかどうかはわからない。全員と一緒に生活をして、全員と一緒にトレーニングしていたわけではないからね。全員とレースを走ったわけでもないし。でも、例えばツールドフランスを走る200人の選手のうち、5人くらいはドーピングしていない選手がいただろう。今なら、彼らこそが真の英雄だといえる。彼らが正しかった。

オプラ:その、今あなたが「英雄」だといった、ドーピングしていない選手たちとレースをしていたとき、あなたは彼らをどう思っていたの?まぬけだと思っていたんでしょ?

ランス:それは違うよ。私は確かに、さんざん他人を罵倒してきたけど…、でも、違うよ。


オプラ:どうやってドーピングしていたの?つまりその、文化についてよ。あなたは告白をして、話をしてくれているけど、全てを語ってくれているわけではないわね。なんの条件も制限もなく、っていう約束をしたはずよ。どうやっていたの?あなたはさっき、抜け目なく、って言ったけど、最も洗練されていた方法ではないとも言ったわね。どういうことなの?モーターマンが、EPOを持ってきていた?

ランス:ああ。そうだよ。

オプラ:そう。2000年のツールドフランスの11ステージのとき、ホテルで血液ドーピングをした?タイラー・ハミルトンがそう言ってるわ。

ランス:急にいわれても何ステージかはわからないけど…、でも、おそらくやったよ。

オプラ:ツアーの最中にね。タイラー・ハミルトンはこうも言ってるわ。レース中のキャンピングカーやテントの中で、つまりファンのすぐ近くで、EPOの注射を打っていたと。そして、コカコーラの空き缶の中に、注射器を捨てていたって。本当にそんなことしていたの?

ランス:タイラーの本を読んでいないからなんとも言えないけど…。でも、それが嘘だとも、真実じゃないとも言えない。

オプラ:私が聞いてるのよ。はぐらかさないで、私の質問に答えればいいのよ。薬が運び込まれ、秘密の冷蔵庫には血液が保存されていた?どうなの?

ランス:困ったな

オプラ:どうなの?

ランス:話は簡単だよ。ランニングやサイクリングなどの持久系スポーツにおいて、いわば酸素供給促進剤のようなものは大きな効果を発揮する。だからそれを求める。例えばEPO、自己輸血、テストストロン。テストストロンは、男性ホルモンのステロイドだ。私は精巣腫瘍の病歴があって、つまり、その、失ったから…少ないんだ。

オプラ:それでドーピングを正当化したの。

ランス:いや…

オプラ:自分の血を抜いて、とっておいて、自分に輸血する、という自己輸血も、自分の血だからと正当化していたの?

ランス:正当化はできないよね。

オプラ:捕まると思わなかったの?

ランス:思わなかった。今では検査手法は変わっているけど、その頃は、レース時に検査されるだけだったんだ。レース時以外は検査されなかった。今では、家で日常生活をしている時に検査員がおしかけてきたり、トレーニングしているところに現れたり、レース時以外でも日常的に厳しい検査が行われているけどね。それは正しいと思うよ。

オプラ:そして1999年にはまだ、EPOの検査はなかった。

ランス:その通り。私のキャリア中には、それはあんまりなかったんだよね。そして2つの変化が-

オプラ:それはあんまりなかった?それって?

ランス:レース時以外の検査さ。だからレースの時にクリーンなら、クリーンだったんだ。捕まらなかった。

オプラ:レースの何日か前にドーピングして、ドーピングを身体に馴染ませていたということ?

ランス:そうだ。スケジューリングの問題だ。

オプラ:スケジューリング。

ランス:狂ってるよね。でも2つの変化が起きた。レース時以外にも検査が行われるようになったこと。そして、継続的な観察を記録する生体パスポートの導入だ。これらは本当に良く機能していると思う。私はUCIのファンではないし擁護もしないけど、彼らが導入した生体パスポートはうまく機能している。


ランス:USADAの報告資料の中で困惑しているのは、復帰後もドーピングしていたと主張していることだ。それは真実じゃない。私が一線を越えていたのは、2005年が最後だ。だから-

オプラ:2009年のツールドフランスで3位になった時は、ドーピングしていなかったってこと?

ランス:そうだ。していなかった。もう生体パスポートも導入されていたし…

オプラ:なるほど。その検査には、自己輸血も入ってるの?

ランス:もちろん。

オプラ:じゃあ、2009年のツールドフランスのときは、自己輸血もしていなかったのね。

ランス:間違いない。

オプラ:2010年のツールドフランスでは?ドーピングしていた?

ランス:2009年も2010年もしていないよ。この2年間でのツールドフランスでは、ドーピングしていない。間違いない。

オプラ:じゃあ2005年が最後だったってこと?

ランス:その通りだよ。


オプラ:あなたは、あなたのチームの責任を持っていた?

ランス:うーん、私は、チームのエースで、リーダーだったけど、監督でもないし責任者でもなかったな。

オプラ:でも、あなたの気に入らない人がチームにいたら、その人を解雇できたでしょ?

ランス:気に入らないっていうのはつまり、チームメンバーがドーピングを拒否したらってことかい?

オプラ:ええ。

ランス:私がその人をチームから追放したかと?

オプラ:ええ。

ランス:そんなわけないよ。

オプラ:可能だった?

ランス:可能かっていうと…可能だったろうな、解雇することも。でもやってないよ。やってない。ツールにでたいなら、チームにいたいならドーピングしろ、なんて命令したことはないよ。そんなことは絶対していない。我々は成人した大人だったし、自分のことは自分で決めた。ドーピングしないと決めていたメンバーもいたよ。

オプラ:あなたの元チームメイト、クリスチャン・バンデベルデは、あなたにドーピング・プログラムに参加しないならチームを追放すると脅迫されたと、USADAに話しているわ。

ランス:それは、それはないよ。期待はあったけどね。我々はチームメイトに、チームにふさわしい、強い、高い能力を求めていたけど、ドーピングの強制はしてない。私は今、世界で最も信用のおけない人間だってこともわかるけど、でも、本当にしていないよ。

オプラ:「期待はあった」って言ったわね。それって、「ドーピングして強くならないとチームにはいられなくなるぞ」ってことなんじゃないの?

ランス:うーん…

オプラ:だってあなたは、ランス・アームストロングなんだから

ランス:さっきも言ったけど-

オプラ:なに?

ランス:ドーピングしろとはっきり言わなくても、私がそれをやっていて、私はチームのリーダーで、チームの模範だったから。問題だよね。

オプラ:わかるでしょ?チームメイトがどう感じていたか。あなたがドーピングをしていて、それが勝ち方で、自分もそれをしなければチームにいられなくなるだろうとチームメイトは感じていたのよ。わかるでしょ?

ランス:わかるよ。

オプラ:わかるわよね。

ランス:でもやっぱり、はっきり命令するのとしないのとでは違うと思う。「私のチームでツールに出たいなら、ドーピングしろ。これは命令だ」とはっきり言うのと、言ってないのとは大きく違うんじゃないかと思う。もちろんどっちも良くないことだけど-

オプラ:それって実質的な違いはないんじゃないかしら?そういう状況で、「ドーピングしろ」っていうのと、「このチームにいたければ、勝て」っていうのとは。

ランス:わからない、なんともいえないけど、私がはっきりとドーピングしろといったことがあるか、はっきりと命令したことがあるか、といわれれば、絶対にないよ。

オプラ:でもあなたは、あなたが絶対的存在であるランス・アームストロングだ、っていうことを認めたわよね

ランス:…ああ

オプラ:あなたは絶対的キャプテンで、権威であり、中心であり、チームリーダーだった

ランス:ああ、リーダーだった。チームメイト全員の手本だった。

オプラ:そうよ。

ランス:・・・わかった。君の言ってることは正しいよ。100%理解した。

オプラ:そうよね。チームメイトが「ドーピングしなければチームにいられなくなる」と感じざるを得なかったことを認めるわね。

ランス:認めるよ。

オプラ:わかったわ。

ランス:でも、しかし、細かいことをグズグズいうようだけど、他のチームに行った元チームメイトたち、例えばクリスチャン、私は本当に彼のことを気にかけて世話をみたし、彼も本当にいいやつだったけど、でも彼らは、チームを移った後にも同じことをしていたじゃないか。私がいないチームでも。

オプラ:同じこと、ってドーピングのこと?

ランス:そうだ。

オプラ:あなたがやってたのはいじめだったんじゃない?

ランス:え、そうだ、そうだな、いじめだ。

オプラ:どんないじめだった?

ランス:私はとにかく、身の周りの全てをコントロールしようとした。誰かに何か気に障ることをいわれたり、裏切られたと感じたり、反抗されたと感じたら、すぐに私はそれをコントロールしようとして、「嘘だ、奴らは嘘つきだ」と騒ぎ立てて、いいなりになるように仕向けてきた。

オプラ:それはあなたの本能なのかしら。誰かに何か気に入らないことをいわれたら、なんでも攻撃してきたの?あなたの-

ランス:これまでの人生で、ずっとだね。

オプラ:ずっと。

ランス:ずっとさ。

オプラ:10歳の時も、12歳の時も、14歳の時も、同じようにしてきたってこと?

ランス:そうだな・・・私は闘士として育ってきた。私の母が私を身ごもった時、母はすごく若かった。なんというか、もともと現実味がなかったというか。常に崖っぷちに立っているような気分で生きてきたんだ。だから私は、あらゆるものと闘わざるを得なかった。私の母も闘士だし、今もそうだ。でも私ももともと競争者ではあったけど、そんなに獰猛な競争者ではなかったな。でもいつかしら、あらゆる犠牲を支払って勝利を勝ち取りたいと思うようになっていた。もともとは「生き残るためには何でもする」と思っていて、その頃は良かった。でも、無慈悲に、容赦なくどんな犠牲を払っても何が何でも勝利を勝ち取りたい、と思うようになり、その気持ちは自転車に向かい、気がついたらこうなっていた。良くないよね。

オプラ:でもそうなる前から、薬をやってたんでしょ?薬をやってたっていうのはつまり、ドーピングのことだけど。

ランス:そうだよ。でもずっといじめをしてたわけではなかったな。

オプラ:そう。なんでいじめをするようになってしまったのかしら。

ランス:改めて今思えば、私の神話物語をできるだけ長続きさせて、真実を隠そうとしてきた頃からかな。生涯二度目の、簡単にコントロールできないことに対峙した時だ。

オプラ:一度目は、癌のこと?

ランス:そう。一度目は病気のとき、二度目は、7回もツールに勝ち続けていたとき。恐ろしかった、とても。

オプラ:勝利がそんなに大事だったの。なぜそんなに全ての犠牲を払って勝たなければならなかったの?

ランス:勝利は重要だ。勝利は重要だよ。今ではちょっと見方は変わっているけど、でもやっぱり、今でも勝つことは好きだよ。

オプラ:あなたはかつて言ったわね、「我々はゴールを目指す。大きな大志を持っている。世界で最も偉大な自転車レースに勝つことだ。それもただ一度勝つだけでなく、勝ち続けることだ。」って。あなたにとって、この勝ち続けるっていうのは、ドーピングし続ける、っていう意味だったのね。

ランス:否定できないな。でも、こんな答えは受け入れられないのを承知であえて言うけど、でも、我々にとって、レースの準備のためにドーピングするっていうのは、タイヤに空気を入れることとか、ドリンクボトルに水をいれることとかと同じ、仕事の一部だったんだよ。

オプラ:ドーピングがどれだけ当たり前だったか、ということね?

ランス:あー(笑)、ごめんごめん、私にとっては、私の見解では、だ。他の選手がどうだとは言わないよ、誰かを告発したいわけじゃない。言い訳もしたくない。私はそう見ていたが、私がやったことは全て私が決めたことだ。

オプラ:あなたはチームメンバーにドーピングを期待したこともないし要求したこともない、って言ったわね。

ランス:ああ、たしかにそうだ。

オプラ:本当ね。

ランス:本当だ。

オプラ:提案したこともなかった?例えば、フェラーリ氏に会うように促したことは?

ランス:うーん、フェラーリ氏か…。さっきから言ってるように、他人のことは言いたくないし、名指しであれこれいうっていうこともしたくない。でも、私の神話物語の中の登場人物は、みんな良い人だったよ。人間はみな間違いを犯すってだけだ。私の物語の中に怪物はいないし、おぞましい悪魔もいない。私はミケーレ・フェラーリ氏を善人だと思っていたし、今でもそう思っている。

オプラ:そう。ではこれを聞いて。

(ビデオクリップが流れる)

USADAによれば、ランスは1994年から、ドーピング・マスターといわれるミケーレ・フェラーリ医師に接触してチームごと手ほどきを受けており、10年にわたり100万ドルの報酬を支払っていた。ミケーレ・フェラーリ医師は身の潔白を主張しておりランスとの関係も否定し続けているが、USADAはミケーレ・フェラーリ医師の永久追放を決めた。
以下は、ミケーレ・フェラーリ医師の裁判におけるランスの証言である。

インタビュアー:ミケーレ・フェラーリ医師はあなたに、ドーピングの手ほどきをしましたか?

ランス:決してしていない。

インタビュアー:あなたとあなたのチームは、10年以上の間、ミケーレ・フェラーリ医師にドーピングの手ほどきを受けていたのではないのですか?

ランス:事実は反対だ。

インタビュアー:反対とは?どういうことですか?

ランス:信じられないかもしれないが、彼は私には、極めてクリーンで、倫理的な処置をしてくれていた。公平なスポーツで、アスリートとして、如何に最大限の効果を発揮するかについて相談していた。でも、ドーピングのことなんか一度も相談したことはない。

オプラ:どう。今も同じことが言える?

ランス:うーん…言えないな。

オプラ:そう。つまり-

ランス:いま答えるなら、ほとんど全て違う回答になるだろうな。

オプラ:そう。つまり彼こそがあなたのリーダーであり、チーム全体のドーピング計画の黒幕だったのね?

ランス:いやオプラ、頼むよ

オプラ:だってそうじゃなければ、あなたやあなたのチームと彼の関係が、どんなものだったっていうのよ。

ランス:他人のことについては言いたくないんだ。私のことはなんでもしゃべるよ。でも他人のことを言わせるのはやめてくれないか。

オプラ:じゃあこれをいわせて。ロンドンのサンデー・タイムズ紙の記者、デービッド・ウォルシュによれば、あなたとフェラーリ氏との関係はすぐに暴かれたっていってるわよ。振り返ってみれば、フェラーリ氏と関係をもったことは無謀だったと思うんじゃない?

ランス:みんなそう思うだろうな。でもまあその頃は、他にも色々と無謀なことをしたよ。私の生活は無謀なことだらけだった。

オプラ:無謀ね。それについて話しましょうか。何をしたの?大きすぎるあなたの名声が、本当のあなたを隠し、私たちを惑わせてきたのね。

ランス:うーん…

オプラ:あなたが間抜けなら、かなりの間抜けね。

ランス:ふーむ…

オプラ:でもあなたが人道主義者なら、かなりの人道主義者だわ。

ランス:どうしたんだ急に、間抜けとか人道主義者とか…、まあ、私はどちらでもあったといえるだろうな。でも今は明らかに、間抜けだよね。人道主義者で、活動家で、博愛主義で、基金のリーダーだったことよりも。もう疑いない。私は最低だ。人間はみな欠点があるものだけど、私は本来の器を、偽りで大きくみせていた。私の活動や、言葉や、態度でね。私は最低なことをした。全てを受け入れて、償いをしたいと思っているよ。

オプラ:ここまでさせた、あなたの欠点ってなんだったのかしら?

ランス:狂ったほどの勝利への執着、かな。勝つためならなんでもした。だからこそ自転車で才能を発揮し、病気に打ち勝ったともいえるけど、なんであれ、やりすぎだ。それが欠点だ。思い上がって、傲慢なヤツだ。自分で思うよ。なんて傲慢なヤツなんだと。


(ビデオクリップが流れる)

ランスがツールドフランスを7連覇した際、表彰台でマイクを持ってスピーチした場面。
「…そして最後に、自転車競技を信じないという人達に言いたい。皮肉屋や懐疑派に言いたい。残念だ。あなたが大きな夢をみられないこと、奇跡を信じられないことを残念に思う。あなたはこの、最高に偉大なスポーツイベントに寄り添い、信じるべきだ。選手たちを信じ、人を信じるべきだ。私は生きている限り、このツールドフランスのファンであり、隠すことなど何もない。この過酷な、ツールドフランスよ、永遠に。」

オプラ:これ一体どういうわけなのよ。

ランス:本当だよね。いくつもの間違いを犯してきたけど、これはその最たるものだね。改めてみると、本当にひどいな。

オプラ:あなたのことを嘘つきだとか立ち向かってくる人に対して、執拗に攻撃していたのよね。

ランス:そんなでもないけど-

オプラ:非難していたわよね。

ランス:どうかな。でもこの時、ツールドフランスで勝者にマイクを渡すというのは初めてだったんだよ。それで咄嗟に考えたんだよ、何を言おうかって。そんなに深く考える間もなく、「やつらに一泡ふかせてやれ」って思ったんだよね。ただ咄嗟に思い付いたんだ。いま改めてみると、本当に馬鹿げてると思うけどね。

オプラ:今みて、どう思う?恥ずかしい?残念?謙虚な気持ちになる?どう感じるか教えて。

ランス:本当に恥ずかしいよ。だってこれがツールドフランスに勝った最後の瞬間なんだから。この後すぐに私は引退した。誰かがどういう引退をするにしても、ランス・アームストロング以上にひどい引退の仕方はないよ。ださすぎる。

オプラ:あなたは幸せだったのかしら?禁止薬物をやって、あなたは勝っていたけど、そういう勝利に幸せって感じるものなの?

ランス:勝利それ自体よりは、勝利への過程や、準備には幸せを感じていたよ。もう一度いうけど、レースの準備のためにドーピングするっていうのは、タイヤに空気を入れることとか、ドリンクボトルに水をいれることとかと同じように行われていたんだよ。

オプラ:大事だと思うけど。間違ったことをやっているという意識がなかったの?

ランス:その時にかい?思ってなかったね。

オプラ:間違ってるとさえも?

ランス:感じてなかったね。恐ろしいことだけど。

オプラ:悪いとも思ってなかった?

ランス:ああ。恐ろしいよ。

オプラ:ファンや世間を騙してるとも思ってなかった?

ランス:ああ。本当に恐ろしいけどね。

オプラ:ドーピングして勝ってたのに、本当にファンや世間を騙してると思ってなかったの?

ランス:その時はね。でもふと顔を上げたら、みんな私のことを…

オプラ:詐欺師だって言ってる。

ランス:そう、薬物不正使用者で、ずるい、詐欺師だってね。でも当時の私にとっては、なんというかな、「ずるい」の定義の問題だったんだ。

オプラ:え?

ランス:ずるいっていうのが、ライバルや競争相手がやってないことをやって有利になることだとしたら、わかるだろ、ドーピングはずるくないと。競争の土台に乗るためのことなんだから。

オプラ:でもそれによって、より強い競争力を得てるっていう実感はあったわけでしょ?

ランス:そうだよ、いま思えばその通りだ。でも当時はわからなかったんだよ。

オプラ:わからなかったってどういうことよ?そんな言い訳、誰も受け入れられないわよ。

ランス:ことの重大さをわかっていなかったんだ。今ではわかるけど-

オプラ:こないだ会ったときも、あなたは「こんなに大事になるなんてわからなかった」って言ってたけど、むしろなんでわからないままいれられるのって話よ?

ランス:○×△□・・・

オプラ:だって、大統領と電話して、ロックスターとデートしてたんでしょ?

ランス:わからなかったことはわからなかったとしかいえないよ…。でも、今はわかり始めた。というのも、こういうビデオをみたり議論したりする中でというよりは、人々が怒っているのがわかってきたからなんだ。

オプラ:怒りと、落胆ね。

ランス:裏切りもだ。私は裏切っていたんだな。私を応援し、信じてくれた人達を。私を、私のいうことを信じてくれていた人達を、私は裏切ってしまった。彼らが怒るのは当然だ、私の責任だ。永遠に許されることはないだろうが、私は残りの人生を、彼らに謝罪し、少しでも信用を取り戻すために捧げたいと思ってる。

オプラ:あなたはそんなに大事だと思ってなかったっていうけど、実際その渦中にいた時には、何を思っていたの?

ランス:それは簡単さ。

オプラ:簡単?

ランス:私はただただ、流されていたんだ。そうだな…アスリートがいう、「ゾーンに入る」というような。でも幸せだったとは言い難いな。その頃よりも、今の方が幸せだよ。

オプラ:これだけ色々なことが起きた後でも?

ランス:ああ。今の方が幸せだ。あの頃よりも、昨日よりもね。


オプラ:あなたはこれまで何度も、ドーピング検査で陽性がでたことはないと言ってきたわね。今でも同じことがいえる?

ランス:ああ、検査で陽性がでたことはないよ。2005年に遡って検査された以外ではね。

オプラ:1999年の?

ランス:そうだ。そういう意味では遡及的に陽性がでたといえるけど。でも、当時に何回も何回も検査を受けた中で、陽性はでていなかった。その当時のシステムではね。

(ビデオクリップが流れる)

164ページにわたるUSADAの資料には、ランスのチームメイトだったタイラー・ハミルトンフロイド・ランディスの証言が記載されている。彼らによれば、2001年のツールドスイスにて、ランスの検査に陽性が出た。そしてタイラー・ハミルトンは、インタビューにこう答えている。「ランスは緊張したよう面持ちで、EPO検査に陽性がでたといっていた。でも揉み消すから心配ない、とも。」

オプラ:ツールドスイスってなに?スイスのツアーってこと?

ランス:そうだ。

オプラ:そう。

ランス:今のが本当かどうかっていうと、本当じゃないよ。検査で陽性になったことはない。賄賂を出して揉み消したこともない。秘密で口裏を合わせたなんてこともない。

オプラ:UCIも?UCIもそんなことをしていない?

ランス:していないよ。彼らの肩を持つ気はないけどね。

オプラ:本当にしていない?

ランス:絶対にしていないよ。

オプラ:でもあなたはちょうどその頃、UCIに巨額の寄付をして、それは偶然にも-

ランス:時期が重なってる。

オプラ:そう、そうよ。あなたはUCIに、ドーピング検査を支援するためという名目で巨額の寄付をした。でもそんなわけないわよね。なんで寄付したの?

ランス:頼まれたからだよ。取引があったわけじゃない。信じてもらうのは難しいだろうけど、裏取引を隠しているわけじゃないよ。私はUCIのファンじゃないし、むしろ「そうさ、彼らと裏取引をして…」なんて言いたいところだけど、そうじゃないんだ。彼らはただお金がなかった。私は引退して、お金は持っていたところに彼らに寄付を打診されて、寄付したっていうだけだよ。

オプラ:そう。ドーピング陽性を見過ごしてもらうためにお金を払ったわけじゃないというのね。

ランス:違うよ。ツールドスイスの件もさっきの話と同じさ。

オプラ:ツールドスイス。

ランス:あとから遡及的に検査した結果さ。その時に陽性がでたわけじゃない。


オプラ:エマ・オライリーが話したことは本当なの?コルチゾンの検査に関して陽性が出た後に、医者が処方箋の日付を変えて隠蔽したっていうのは?

ランス:本当だ。

オプラ:本当。エマ・オライリーに何か言いたいことはある?

ランス:彼女には償いをしなければならないと思ってる。私は彼女を攻撃しすぎた。やりすぎだ。

オプラ:訴えたのよね。

ランス:ああ、私は多くの人を訴えた。彼女はその中の一人だ。とんでもないことをしてきてしまった。なんとか償いができればいいのだけど-

オプラ:サンデータイムズのデビッド・ウォルシュも、エマ・オライリーも、ベッツィー・アンドリューも、他の何人かも、あなたのドーピングに関する発言をして、そしてあなたに攻撃されてきたわね。あなたは、彼らが本当のことを言っているとわかっていたのに、訴えてきたのよね。なんでそんなことできるの?

ランス:大きな過ちだ。全てを手に入れて、全てをコントロールしたいというどうしようもないヤツだったんだ。言い訳の余地はない。許せないよ。わかってる。どうしても許されないだろう。でも、私は、私のためにも、償いを始めたいと思ってる。まずは、彼らにちゃんと直接あって、ただ謝りたい。「私は間違っていて、あなたが正しかった」と、面と向かって言わせて欲しい。

オプラ:ベッツィー・アンドリューに連絡したの?

ランス:ああ。

オプラ:彼女は連絡を受けてくれた?

ランス:ああ、受けてくれた。

オプラ:そう。彼女が、1996年に、癌の治療中のあなたが医者にドーピング経歴を話してたのを聞いた、っていうのは本当なの?

ランス:わからないよ。病床に臥せていたから…。

オプラ:ベッツィーは嘘ついてるの?

ランス:それは…ちょっとなんともいえない。彼女とは40分間話したけど、その内容については秘密にすると約束した。フランキーとも話せた。

オプラ:良くなったの?和解した?

ランス:できるわけないよ。

オプラ:そうよね。

ランス:彼らは傷付き過ぎてる。40分間の議論は充分じゃないよ。

オプラ:そうよね、繰り返し繰り返し、あなたは彼女のことを狂ってるとか、他にも酷いことを言って罵ってきたものね。

ランス:その通りだよ。私は彼女を狂人呼ばわりした。

オプラ:そうよね。

ランス:そうだ。

オプラ:あなたがこれまで何年も、どんなことをベッツィーに言い続けてきたか-

ランス:わかってるよ。わかってる。

オプラ:いいわ。

ランス:彼女もたぶんこのくらいは言ってもいいと思ってくれるだろうし、私もこのくらいのことを言う自由はあると思うけど、「私はあなたを、狂ってると言ったし、売女め、とも言ったし、さんざんひどいことを言った。でも、デブと言ったことはない」というような-

オプラ:つまり-

ランス:彼女は、私が「デブで、狂った売女」と言ったというので、私は「ベッツィー、デブとは言ってないよ」っていう。

オプラ:興味深いわね。3つの正確なことを主張していても、1つ事実じゃないことをいってたら、全体として事実じゃない、というわけ?

ランス:だってそうだろう。

オプラ:そう。で、どうするつもりなの?

ランス:だって、3対1は3対1なんだから…そうとしかいえない。

オプラ:どうしようもないのね。

ランス:ああ。

オプラ:そう。

ランス:例えば彼らが10のことをいっていて、2つは正確で、8つは間違ってるとしたら、やっぱり私は彼らを-

オプラ:追求する権利があると言いたいのね。

ランス:そうだ。でも彼らが言ってることのうち、「ランス・アームストロングツール・ド・フランスに勝つためにドーピングしていた」というのは正確だ。それは疑いがない。

オプラ:ベッツィーはそれを何度もいってきたのよね。

ランス:わかってるよ。

オプラ:彼女はそれを言って、それをあなたは執拗に攻撃してきたのよね。そうよね?

ランス:そうだ。

オプラ:エマ・オライリーについてもテープを何回も観たけど、あなたは酷い、汚い言葉を何度もいってるわ。それを今、どう思うの?

ランス:うーん、良くないよね。

オプラ:あなたはただ彼女をこき下ろそうとしたの?それとも黙らせようとしたの?それとも…?

ランス:違う、違うよ。私はただ、攻撃しただけだ。

オプラ:攻撃しただけ?

ランス:そうだ、ただ、私のテリトリーが侵されたから、私のチームが脅かされたから、私の評判が危機に陥ったから…、攻撃したんだ。


オプラ:多くの人が、フロイド・ランディスが正面に出て告白を始めたのが転換点だったんじゃないかと思っているわね。

ランス:私もそう思うよ。

オプラ:それが転換点だったのね。

ランス:少し話を戻して、復帰について話をしてもいいかな。私が復帰するチームにフロイドを招くのはよくないと思ったんだ。

オプラ:あなたの復帰?

ランス:ああ。そしてそのあたりから始まった。

オプラ:フロイドがそのことについてあなたに話してきた時、どこで何をしていたか覚えている?

ランス:ツアー・オブ・カリフォルニアでのホテルにいた時だったよ。フロイドはこう言ってきたんだ、「全てを録音した、全てを話した、全てを動画に収録した。それをYouTubeにあげるつもりだ」と。彼は何度もそう言ってくるので、私はついに「勝手にしろ、ほっといてくれ」って言ったんだ。そうしたら彼は、YouTubeにその動画をあげるのではなくて、ウォールストリートジャーナルに行ったんだ。

オプラ:彼を拒否したのよね?

ランス:彼が例の告白をしてからはね。それまではずっと彼をサポートしてきた。ドーピング陽性になった時も、裁判の時もサポートしてきた。その後もずっとだ。

オプラ:彼がツールドフランスの優勝をはく奪されてから拒否してたわけじゃないのね。

ランス:ちがうよ。

オプラ:ただたんに追い払ったわけじゃないの。

ランス:新しいチームに彼を招くことはしなかったけどね。でも、完全に追い払おうと思ったわけではないよ。彼は言ってもらっては困ることを知っていたわけだから。広い意味では私のチーム内にいてもらうつもりだった。

オプラ:彼は普通の人は知らないことを知っていたというわけね。

ランス:そうだ。だから、私が彼を追い出したわけじゃない。実際、彼自身こそが、自転車競技から疎外されていると感じていたんじゃないかな。自転車競技自体が彼の復帰を期待していない、と思っていたんだろう。

オプラ:それが転換点だったというわけね。そしてあなただけが復帰した。復帰したことを後悔してる?

ランス:してるよ。復帰しなければ、今ここにこうして座っていることにはならなかっただろうな。


オプラ:逃げ切ることもできたと思ってるのね?

ランス:正直にいって、可能性はあったと思うよ。そうはならなかったけど。

オプラ:そうはならなかった。

ランス:ああ。

オプラ:いつかバレるだろう、と思っていたわけではないのね。私とここでこうして座っていることにならない可能性もあったと。でも復帰したら、なにか反発があると思うのが普通じゃない?それをきっかけに何かがバレるって、なんで思わなかったの?

ランス:そうだな、私の完璧な物語はまだ続いてると思ってたんだ。私がいまここにいるのも、新たな物語やインタビューの問題というよりは、私が2年にわたる連邦政府の犯罪調査を受けたからだろ。

オプラ:そうね。

ランス:私の物語に関わった多くの人が、召集され、証人として召喚され、証言させられた。役人の前で。

(ビデオクリップが流れる)

フロイド・ランディスがランスを告発した後、2010年、ついにアメリカ司法当局が調査を開始した。ランス・アームストロングの不正な詐欺行為、禁止薬物の取引、密売、証人買収などの疑惑で。ただし、2年ほどの調査の後、検察庁は、何の説明もなく、この操作を取りやめた。

ランス:そして、USADAの調査が始まったんだ。同じような圧力のもとでね。知っての通り、ここではみんな取引を持ちかけられていて、それは機能した。

オプラ:法務省は何故、調査を止めたのかしら。あなた何かしたの?

ランス:してないよ。

オプラ:してない。じゃあ彼らが調査を止めたのは-

ランス:私がやめさせるなんてできるわけないよ。

オプラ:じゃあ質問を変えるわ。彼らが調査を止めた時、あなたは、ついにやった、勝ったぞ、と思った?

ランス:勝利というのかわからないけど、危機は去って、森を抜けたのかとは思ったよ。

オプラ:森を抜けたと思ったら…オオカミが待ち構えていた、というわけね。

ランス:かなり深刻なオオカミたちがね。

オプラ:そうね。

(ビデオクリップが流れる)

2012年に始まるUSADAの調査において、ランスの元チームメイト11人を含む26人からもの証言がとられた。その中には、ランスとツール7連覇の全てを共にしたジョージ・ヒンカピーも含まれていた。2012年7月、USADAは、禁止薬物の所持、取引、使用の疑いによりランスを提訴。ランスは反訴したが、8月、USADAは「揺るぎない圧倒的な証拠」を見つけたと主張。これに対してランスは異議を唱えなかった。そして10月、ランスはツール7連覇のタイトルを剥奪され、全ての競技から永久追放を受けた。

オプラ:USADAがこの件について独自の調査を行うと知った時、あなたはどう思った?

ランス:もちろん、それまでと同じように、闘ってやる、って思ったさ。私の領域を侵す気だな、反撃してやるぞ、ってね。でも、あの日に戻れるならなんだってしたい気分さ。

オプラ:というと?

ランス:闘って、訴えるのではなく、良く聞いて、良く考えてまずすべきことがあった。私は、他のメンバーとは違う扱いを受けていたしね。わかってる、私はより重大だったし、よりレースに勝っていたし。でも、あまりにも違うふうに扱われていて-

オプラ:どんな風に?

ランス:私は他のみんなと同時に接触されたわけではなかったな。

オプラ:どのように接触されたの?

ランス:彼らには、自転車競技の文化についてや、何をして何をしていないかを話すために呼び出されること、そしてもちろん処分されることが伝えられた。召喚状も供述宣誓書も証拠も集められて、そして-

オプラ:11人のあなたの元チームメイトを含む、26人の証人が集まったのね。

ランス:そうだ。そして次は私のところにきて言った、「さあ、どうする?」。あの瞬間に戻れるなら、私は「お願いだ、3日くれ。電話をしたい」というだろう。いま思えばだが、本当にそうすべきだった。でも、できなかった。「何人かに電話をさせてくれ、家族に電話をさせてくれ。母に電話をさせてくれ。スポンサーに電話をさせてくれ。リブストロングに電話をさせてくれ。そして何が起きるか話をしたい」と。そうできていたらどんなに良かったか。

オプラ:あなたはもうそこには戻れないけれど、USADAがスポーツや自転車競技をクリーンにするための活動に協力したいと思っているの?

ランス:私は自転車競技を愛しているよ。本当に。でも、人々には、私はツールドフランスや、自転車競技自体、黄色という色、そして黄色のジャージに、泥を塗ったヤツとしかみられないだろうな。そして実際、私がやったのはそういうことだ。

オプラ:あなたは権力を濫用しすぎたものね。

ランス:そうだ。ルールを侮辱した。どんな時代だったからといって、私が選んだことだった。私に「おいみんな!自転車競技をクリーンにしようぜ!」なんていう資格はないよ、どこを探したってね。でももし、そのために努力をすることが許されるなら、懺悔によるゆるしが得られるのなら-、もちろん全く信用を失った私にそんなことはあるわけないのはわかっているが-、彼らが私を招くというなら、私はそのドアをくぐるだろう。

オプラ:ジョージ・ヒンカピーが証言に呼ばれて話をしたと聞いたとき、あなたは最後の切り札を切られたと思った?それとも、最後の望みにかけるような気持だった?

ランス:運命が決まったと思ったね。ジョージを責めたいとは思わないよ、ものすごいプレッシャーだったろうし。彼の証言は一連の中で最も信頼のおけるものだ。彼とは7回のツールドフランスの全てを共にしたし、16歳のときから知ってる。一緒に住んで、一緒に毎日トレーニングをして。我々は今でも大切な友人だよ。今でも週に一度は話をするんだ。私はジョージを責めたりなんかしない。彼はこの物語を、誰よりも良く知っているけどね。

(1日目、パート1終了)

・・・つづく

いまアメリカのソフトウェア特許に起きていること

7月1日は弁理士の日!このエントリは、ドクガクさんの「弁理士の日ブログ企画2016」に乗っかったものです。 今年のお題は「知財業界でホットなもの」

いまIT知財の世界でホットな話題といえばなんといっても35 U.S.Code§101(米国特許法101条、通称ワンオーワン(101))、2014年にUSでAlice判決というのがでて以来、ソフトウェア特許の世界は蜂の巣を突いたような騒ぎになってる。

少し前までアメリカはプロパテント(知財保護重視)で、ビジネスモデル特許という流行を生み出したのもアメリカだし、なんでもかんでも特許になる、なんて言われていたのも今は昔、いまや日本の審査の方が全然ユルユルで、少なくともソフトウェア特許においてはアメリカは完全にアンチパテント側に振れたといえる。

まあこのへんの話はソフトウェア特許に限った話なので、他分野の知財業界人や弁理士はあまり知らないかもしれないが、マジ大変なことになってる。

101の特許適格性patent eligibility をめぐる解釈で、抽象的アイデアabstract ideaは特許にならなくて、抽象的アイデアの場合、significantly moreな要素があるかどうかで判断する、ということが示された。ソフトウェアなんてのはそもそも実体のないabstract ideaだから、これは極端な話、ソフトウェア特許は基本的に全否定ですよ、と思われてもおかしくない。基本的に全否定で、例外的にsignificantly more なものは認めますよ、的な。

2014年にこの判決が出て2年経つが、USのソフトウェア特許は101を理由とする拒絶のオンパレード、この判断基準は過去のものにも遡及して適用されるために無効審判もオンパレード、既に特許になっていたものもバタバタと死んでいくという異常事態が起きている。この間、数百という特許が無効になり、101を争点とする訴訟も起きているが、訴訟で101の特許適格性が認められたのは、なんと2件しかない!

まさにソフトウェア特許 is dead。

この傾向が良いのか悪いのかは別として、法律実務家の正義として、クライアントの利益のために、如何にソフトウェアを特許にするか?なぜダメなのか?という議論がアメリカを中心に白熱しまくりマクリスティ。日本実務に慣れていると、2000年頃にビジネスモデル特許が流行って、その後に29(1)柱で拒絶されまくった感覚に近い。29(1)柱の発明適格性では、自然法則を利用したうんぬん、というところの解釈で、純粋な抽象的なソフトウェアはダメだけど、ハードウェアと協調して動作するものはOKということになった。これはなかなか合理的な指針だった。いま101打たれたときに、プロセッサがどうのこうのみたいな文言を足したら許されるという戦術は、日本の29(1)柱に対してとった戦術に似ている。

そしてsignificantly moreというのは要するに、新規性以上進歩性未満、日本でいう特別な技術的特徴stf みたいなもんなのではないかと考えた、ことが私にもありました。しかしそれもまたちょっと違う。なぜなら、101と102を打たれて応答したら、101は解消したけど102は解消しなかったということがあったからだ。日本でstfはあるけど新規性はない、という判断はありえない。新規性もstfも、先行文献を判断基準にするからだ。

つまるところ、significantly more というのは、引例や先行文献を判断基準にしない。引例や先行文献の記載に基づいてどうのこうの、という論理的なmoreではなく、抽象的な周知技術すべてを自らの知識とする仮想的でマジカルな存在である「当業者」の仮想的ななにかを判断基準とする、「なにか」でしかない。

引例のない、主観的な「なにか」。
そんなのは恣意性でしかない。

恣意性でしかないけど、恣意性でバンバン拒絶しましょう、としているのがアメリカ。
恣意性でしかないから、引例のないものは特許にしましょう、と割りきったのが日本。
恣意性でしかないから、全部拒絶しましょう、と割りきったのが欧州。

という考察はどうだろうか。

お題をもらったときは、最近モヤモヤと考えているこのへんの話を含めて、日本の新規性、進歩性(Inventive Step)、特別な技術的特徴(STF)、29(1)柱、USのpatent eligibility、新規性(novelty)、予期性(Anticipation)、significantly more、非自明性(Non Obviousness)、EPOのCII(Computer-implemented invention)におけるfurther technical effect、中国のインターネットプラス、インドのCRI(Computer Related Invention)におけるtechnical contribution、などの程度や相違について整理しながら考えてみたら面白いなと思ったんですが、ちょっと風呂敷畳みきれないので保留。時間と金と家族が許すなら大学院とかに通ってこのへんテーマにけんきうしたいですね。

発明者の氏名をどう書くか問題

特許のプロのみなさん、発明者の氏名って、どうしてますかね。

いや、法上の発明者をどう峻別すんのかという難しい話ではなくて、例えば、結婚して姓が変わったけど旧姓で書きたいっていう発明者、いるじゃないですか。会社では旧姓使ってるんで同じ名前使いたいとか、旧姓で論文をいくつか発表してて学会ではそのままの名前で継続して論文かいてるんで、特許出願の氏名もそれにあわせたいとか。

どうしてますかね、こういう時。なんて答えてます?

「ダメです。戸籍上の名前で書いて下さい」

っていうのが教科書的な正しい回答ですよね。 特許庁が出してるQ&Aにもそう書いてあります。

https://www.jpo.go.jp/shiryou/kijun/kijun2/pdf/binran_mokuji/00_11.pdf

まあそれもわからなくはないですけど、あまりにも杓子定規だし、突き詰めて考えるとスジも通ってないと思ってます。あんまり大きな声ではいえないですけど、私は、「発明者の記載は本人の名誉的なものでもあるので、本人が書きたい名前で良いと思います。それで問題になったという話も聞いたことがありません」と答えてます。

これって問題になりうるとしたら、発明者が退社して敵方として現れて、権利行使の場面で発明者の氏名が正式なものでないから権利に瑕疵があるって本人が主張する場合、くらいでしょうか。ちょうレアですよね。ちょうレアだし、その主張、無理スジですよね。

だいたいさ、氏名って、高橋さんのハシゴダカの高とか、斉藤さんのサイとか、国字とか旧漢字とかの場合は▲▼つけて違う名前で書くことを強制されるじゃないですか。そもそもが「本来の正しい名前」を受け付けられるようになってないんですよ、システム自体が。そのくせに、「正しい名前」をかけって、おかしくないですか。傲慢ですよ。

アルファベットも許されてないですよね、システム的に。例えば、Costnerって名前を日本語で「コスナー」ってかくか「コストナー」ってかくかって、本人が決められて然るべきですよね。ていうか、日本に住んでる期間の長い外国人の中には、カタカナで名前を書くことを嫌がる方もいるんですよ。それでもカタカナで書けっていうのは、名誉権の侵害ですよ。「越須奈亜」(こすなあ)みたいな名前表記、許されるべきだと思いますよ。台湾なんかの出願ではナチュラルにそうなりますけど。

ちなみに、一応、特許庁に電話して聞いてみたことがあるんですけど、ダメっていわれましたね。まあここまでは想定内でしたけど、じゃあもしこの「越須奈亜」のような記載で出願したら、どうなりますか?これを理由に補正指令だしたりとかしますか?って聞いたら、「そうです」といわれました。マジかよ。本当にだすのかどうか知らないけど。本当にきたら行政訴訟で戦いたいところですね。日本でも、在住の外国人の住民票は↑ああいう当て字の漢字で登録できるんですよね。だから、日本では「正式な名前」ですけど、なにか。みたいな。

外国人のミドルネームどこまでかくのかっていう問題もありますよね。ミドルネームいくつもある場合はどこまで書くんだとか。スペイン人とか、「正式な名前」だと10個とか20個とかミドルネームあるっていいますよね。文字数的に全部かけないじゃないですか、システム的に。

あとですね、姓と名とをわけてかけっていわれても、例えばインドネシア人とか、姓ってないらしいんですよ。名前だけ。わけてかけっていわれても、悩みますよね、どう書くか。アメリカのパスポートとかはそういうのもうまいことかけるようなフォーマットになってるらしいんですけどね、そういうところはさすがアメリカですね。

というわけで、「正式な名前」を書け、っていうのがそもそもスジ通ってないんだから、中途半端に「正式な名前」押し付けるのナンセンスだろ。と思ってるんですけど。どうですかね。

例の商標登録DoS攻撃から妄想するyet anotherストーリー

例の大量商標登録出願の件、愉快犯か商標ゴロビジネス的な気もしていたので、話題として触れたら負けだと思ってたんですけど、完全に常軌を逸してるじゃないですか。あれだけ の量の出願や分割をするだけでも相当の手間ですよ。これはもう利害目的ではなく、何らかの狂気にとりつかれていると考えた方が腹に落ちるというのもわかる気がします。弁理士登録年度も古く、当時の弁理士資格の希少性、そして難易度を考えると、なんらかの明確な目的意識があり、相当優秀な方であったと考えるのは不自然ではありません。そこで、例えば、例えばですよ、

少年Z「お父さん、、、!小さい頃に捨てられたぼくを拾い、ひとりでぼくを育ててくれた、血のつながりはないけどあたたかく、やさしいお父さん、、、そんなお父さんが、会社勤めでコツコツためた資金で、やっとのことで始めた事業。まだまだ小さな個人事業だけど、少しずつ軌道に乗り始めたあの事業をやるのは、お父さんの夢だったんだよね。そんなお父さんの事業に使っていた商標を、他人が勝手に登録、、お父さんの事業は改名を余儀なくされ、知名度がゼロリセットされたお父さんの事業はこれをきっかけに転落、、、貯金も底をつき、お父さんは、お父さんは、、、、。お父さん、僕は知的財産制度を勉強し、弁理士になるよ!そして、お父さんのような人を助けるんだ!!」

→少年Zは青年Zに

青年Z「なるほど、商標法、、、こういう制度なのか、、、この制度では、お父さんのケースは結局守られないんじゃないか、、、?」

→青年Zは弁理士Zに

弁理士Z「たくさんの小企業の商標登録を助けて、感謝されているけど、、、この制度ではどうしても助けられないケースがあるし、お父さんのケースも、きっと助けられない、、、」

弁理士Zは知財制度の不条理を問う論文を執筆し、意欲的に弁理士会報(パテント誌)に発表。

→あるとき、弁理士Zの第2の恩人である、お父さんの従兄弟が、お父さんの遺志を次いで事業再建に奮闘を開始。そんなとき、弁理士Zのもとに偶然、第三者から、お父さんの従兄弟と同じ商標の商標登録代理依頼が舞い込む。

弁理士Z「こ、これは、冒認、、、?しかし、おそらく今の商標制度ではこの出願は拒絶されない、、、私が代理を断れば、この依頼者は単に他の代理人を探して商標登録を済ませるだろう、、、こ、こんな制度、、間違ってるっ、、、!」

弁理士Zは、その依頼の受任を決意。あえて先願とかぶる指定商品を忍び込ませて出願。拒絶理由が通知されるが、あえて応答期限徒過。そして出願は拒絶が確定。権利化不能になった出願人は激怒。

弁理士Zは違背行為として弁理士資格剥奪。

弁理士Zは言い訳することなく、すべてを受け入れて元弁理士Zへ。

弁理士Z「商標制度の不条理については何度も何度も声を上げてきた、、、しかしその声はどこにも届くことなく、弁理士資格も剥奪、、、こんな、、こんな狂った商標制度を世に問うには、、、もう実力行使しかない!! 」

→確かな知識に裏づけられた商標制度のバグをつき、執拗なDoS攻撃を続けて知財界を混乱させる復讐の鬼と化す。

という、ワンピースでいう「黒腕のゼファー」のようなストーリーを想像できなくはない。

inspired by 「自らの商標を他人に商標登録出願されている皆様へ(ご注意)」 /理系弁護士の何でもノート

ONE PIECE FILM Z DVD

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フランク三浦裁判にみるフランク・ミュラーの寛容さ(?)

フランク三浦の件、知財クラスタのローカルネタかと思っていたらテレビなんかでもとりあげられていたようで、リアルタイム検索するとけっこう色んなところで話題になっているようです。

ちょっと時期を逸した感もありますがひとこといっておくと、

「フランク三浦がフランクミューラーに勝訴」みたいな、ものっそいザックリとした話になっている場合もあって、フランク三浦の事業は国のお墨付きを得たんだ、みたいな誤解をうんでる場合もあるようですがそれはちょっと違くて、例えば、フランクミューラーがフランク三浦の事業に対して知財的にとれるアクションには以下があります。

(1)自己の登録商標に基づいて権利侵害を主張する
 →事業停止 and/or 損害賠償

(2)不正競争防止法に基づいて権利侵害を主張する
 →事業停止 and/or 損害賠償

(3)フランク三浦の商標登録の無効を主張する
 →登録商標が無効になるだけ

これらのアクションのうち、今回話題になったのは(3)だけです。これは攻撃としては不自然なほど消極的で、相手の事業をつぶす気がないアクションです。(1)や(2)は話題になっていません。(1)や(2)も既に開始しているのかもしれませんが、わざとやっていないのかもしれません。 いまのところ、「なんかすごいやさしい感じ」という印象を受けます。