It's Not About the IP

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検索は投票である。

資本主義と民主主義とが密接に結びついた社会構造の中で、
金を払うことは投票するという意味を持っている、と考えるようになったのは、
ファックマネーとかラブとピースとか真剣に考えていた学生の頃でした。


金の集まるところに権力が集まって、
権力があるやつの発言権は高まって、
世の中はそいつらの思うように微調整されていく。
だから興味があっても、
勢力を伸ばしてほしくないとか、
興味はあるけど気に入らないとか、
胡散臭いと思っているからこそ目通しておきたい、
という範疇のものはできるだけ金を払わないで
見たり聞いたり読んだりするように心がけてきた。村上春樹の小説とかね。
一方、好きなものとか頑張って欲しいとかもっと広まればいいのにとか
思っているものには意識的に金をだらしなくダダ流すことにしてきた。保坂和志の小説とかね。
(『季節の記憶』は人に貸したままあげたりして、
また読みたくなったら買うとかしてて多分もう通算で
10冊分くらい金払ってると思うけど、まだまだ払い足りないと思っている。)


で、最近、検索する(ググる)ことと、ブログにかくこと、
これは十分投票するという意味を持っているんじゃないか、
と思うようになったのは、最近テクノラティみたら外山恒一という
キーワードが常にすごい上位にあるからです。


既存権力メディアとか、まあ多分経済界とかは完全に黙殺しているけれど、
これだけ話題になってれば、知名度があがって、発言権は高まって、
権力が集まったりするかはよくわからないけれど、
少なくとも彼の人生にとって「いきなり1000万円稼いだ」くらいの
インパクトはあるんじゃないでしょうか。


でもあれですね。
気に入らないものに意識的に金払わないというのはけっこうできているけど、
これとは違って、気に入らないもののことを知りたいときに
直接検索しないように検索するとか、
胡散臭いと思っているものは名前伏せるように批判するとか、
投票しないで済ます方法はこの場合難しそうですね。


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追記:あーこれはつまり、ウェブ社会はマイナスの投票とプラスの投票が
区別されない(できない)という特性を持っているということなのかもしれない。
これが民主主義というか人間文化にどういうインパクトがあるのかということについては
また今度呑みながら考えよっと。