私は寺山修司がすきだ。
絶対なんて絶対ないと絶対にいう寺山修司は、私にとって絶対だった。
今もすきだけど、さすがにちょっと、古いなあ、とも思う。
こうやって絶対的に信じていた価値を、フラットな頭で再検証し続けることが
できるようになったこと自体が、寺山さんのおかげ、とつくづく思う。
で、寺山さんが脚本をかいたたぶん1960年代につくられた映画の中でのワンシーン。
まだアメリカ文化がはいってきた頃の日本の若いカップルが、
ちょっとこじゃれた西洋レストランに行く。
男が、ご飯(ライス)をくうときに「こうやって食べるのが、正式なんだぜ」と言って、
フォークを裏っかえして、そこに米をのっけて食う。
女は、へえ、と感心する。
この映画の公開当時にみていた若者はたぶんやっぱり、
へえ、と思って真似したりしたと思う。
その食い方が別に正式なんかじゃあない、
ホントっぽいウソだということが今は知られている。
で、そういうホントっぽいウソはどうやって広まるんだろうなあ。
このウソが広まったのはこの映画に端を発するのかもなあ。
と、いうことを学生のときに思った、のを思い出したのは、
さいきんアメリカ人(白人)とメシを食いにいったときに、彼が箸を使いながら
「別にさあ、箸とかフツウに使えるんだよね。箸つかってると、たまに日本人に
すごいね!なんて感心されちゃうんだけど、箸なんてアメリカでだって
日常的につかってるわけよ。日本人がフツウにフォークつかってるのとおんなじ。」
といっていたからです。
そういわれたら確かに私もちょっと「西洋人は箸を上手には使えない」という偏見が
なかったとはいえないような気がして、ちょっと目から鱗なハナシだった。
西洋人は箸使うの苦手、というホントっぽいウソ(または局所的でしかないホント)は、
どこから私にインプットしたんだろう。
スパゲッティくうときにスプーンつかうのも、
正式なわけじゃあないし上品なわけでもない。
その食べ方はまだ不器用な子供か、フォークだけでスパゲッティまきとれない外国人の食い方だ、
というのも今は広まってきているけど、いますよね、上品だと思ってスパゲッティをスプーン使って食う女。
どこからインプットされたんだろう。