「有言実行」という言葉をさいきん色んなところでみる。
「不言実行」という言葉に触れるよりも「有言実行」という言葉に
触れることの方が多いような気がする。なんだか気に入らない。
「不言実行」のパロディだとしらず「有言実行」と
いっているように聞こえる場合があるからだと思う。
ようするにちょっとバカっぽいということなんだけど。
今、言語能力急成長中の子供時代を
過ごしている子なんかは、間違って覚えちゃうだろう、たぶん。
「転がる石に苔は生えない」なんかは二重化した意味が
どっちも市民権を獲得しているけど、そういうことが
不言実行についても起こるのかなあ。と、思ったりもした。
ところで、「不言実行」は「偉そうなゴタク並べずに、黙ってやって黙って結果をだす。
事後的にも自慢しなくったって良い。褒められなくたって良い。驕らない。
それが本当にかっこいいということなんだぜ」と私は理解していて、
いわゆる「日本的」な美徳だと思うんだけど、
中学生の頃に、英語のことわざで「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉があるのを知ったときに
なんだ、西洋人だって同じなんじゃん、と思った。
アメリカでは、沈黙は承諾と同じだから、ガンガン主張してかなきゃだめなんだぜ。
オドオド黙ってると知らないところで物事は進行しちゃうぜ、イエロージャパニーズ!
みたいなことをよく聞くような気がしていたから。
と、思ったんだけど、
「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉が生まれたのは古代ギリシャらしいんだけど、
その頃は銀の方が高価だったんだと。
まあ別にどうでもいいけどね。
ちなみに私は、学生の頃にバックパックで外国をウロウロしたり
したんだけど、その時に外見や言葉が違っても、人間て考えてることは
似たようなもんなんだなあ。うれしいもんはうれしいしかなしいもんはかなしいんだなあ。
と、すごく思ったので、↑ああいう言葉使いの違いが生まれるのは
なんかのタイミングに過ぎない、ので、言葉遊びの一種に過ぎない、とも思っています。
追記====
「有言実行」の多用を不快に感じるのは、
私は上述のような「不言実行」のいう美徳を
かっこいいというか尊重したいと思っていて、
「有言実行」の多用はそれに対する冒涜、侮辱だと感じるから。
かもしれないと、今読み返して思った。