It's Not About the IP

- IP(Intellectual Property), Computer Technology, Ocean Life, Triathlon, and more

ロボットに愛は生まれるか?

ソフトウェアが動的に作り出した情報(絵とか音とか)の著作者は
ソフトウェアである、という考え方は論理的に間違ってない。ということを書いた
いま読み返してみたら相当端折っているのでメモを足しておく。


私にとって、科学技術への好奇心というか興味の根本には、
ロボットに愛は生まれるか?という、手塚治虫にかなり影響された見方があって、
基本的にはそういう視点で科学技術に接している。


多分小学生の高学年のときかなあ、輪廻転生とかそういう考え方を知ったときに、
一寸の虫にも五分の魂なのはわかるんだけど、草とかは?生まれ変わって虫とかは
なんとなくイメージできるような気もしなくもないんだけど、生まれ変わって、草。
とかはちょっとよくわかんなくね?命は命だよなあ、でも。つーか命なのか?
命ってなんなのか?とか思っていて、手塚治虫のマンガ、火の鳥の番外編みたいな
やつだったと思うんだけど、死後の世界で、閻魔様に裁かれるのを待っている
魂の行列みたいな場面があって、そこにヒトとかドウブツとかと一緒に木とかも
並んでいるのをみて、ああ、やっぱり草もそうだよね、五分の魂だよね、
となんとなく納得しちゃったことがある。


でもね、ロボットは並んでなかった気がすんなあ、そういえば。
でもさ、アトムとか、そうなんだけど、ヒトっぽいけど、ロボットなんであって、
アトムに感情を抱くんだったら、アトムだって命だよなあ。
ここんとこ、愛、と、魂、と、命、と、感情、という言葉を同義でいっていますけど。


AIBO(ソニーの犬ロボットね)がでてきたときに、
それを溺愛してる人がけっこういるという話を聞いて(確か黒柳徹子とかもそうだったよね)、
ロボットに愛は生まれるんだなあ。と、思った。人が苦しんでいるのをみて悲しいのは、
それをみて心配して苦しむ自分が悲しいからだ、というニヒリズム的な見方でいけば、
相手方の感情なんかどっちでもいいわけで、相手方に感情があるかとか命があるかとか
愛があるかとかどっちでもいいわけで、と考えればAIBOに感じる感情ってのは充分、
愛なんだよなあ。


とすりゃあ、
ロボットに感情は生まれるか?
(ロボットに愛は生まれるか?)
(ロボットに魂は生まれるか?)
(ロボットに命は生まれるか?)
という問いに対する答えは、AIBOの時点で既にでているともいえるのかも。


ロボットに人権は生まれるか?というテーマも手塚さんがさんざん描いてるけど、
もはやソフトウェア(≒ロボット)に著作権を与えることが論理的に正しいといえるとこまで、
いまの世の中の制度(情報制度、知的財産制度)は来てるんだな、と。


そんなことを、名和小太郎さんの本を読みながら思いました、と、そういう話。

ディジタル著作権

ディジタル著作権