最近、まちにキンモクセイのにおいがしてきた。
キンモクセイのにおいって良いよね。
もうホントに夏も終わりなんだなあ、みたいな、
でも、キンモクセイのにおいに気付く瞬間って毎年ある気がするから、
夏もきっと、ちゃんとまたくるんだろうなあ、という感じ。
地球ってまわってるんだなあ。という感じ。
毎年キンモクセイのにおいをかいできたんだなあ、これまで。
これが、季節の記憶、っつーのかなあ。
的な。
で。
松尾スズキ演出「キャバレー」をみてきた。
オモロかったんだけど釈然としない、
という感想をいま書きながら、
じゃあいつもの松尾さんの芝居みたときと一緒じゃん、
とも思っちゃった。
してやられたってわけなのか?
いやあ、頭で思っていることを言葉に書いてみるのって、
ホント、考えを整理するのに良いですねえ。
でも、もうちょっとかいてみよう。
松雪さんと森山くんは、テレビ的な芝居をする役者なんだな、と思った。
なんか芝居がそこを流れていくというか。
どっちかっつーと「アングラ」的な演劇ばっかり
みてきた私としては、演劇をみていて期待するのは、
むしろ役者の瞬発力、のようなものなんだけど、
あの二人にはあまりそれが感じられなくて、
芝居全体に若干のイマイチ感を感じてしまっていた。
んだけど、いま思えばそれは私の見方が未熟なだけで、
つまり、あの二人の芝居としての完成度の高さは、すごかった。
なんというか絶対的な存在としてそこにある感じがして、
いきなり私が殴りかかったとしても、
いきなり大地震がおこったとしても、
終わるまでそこでそのまま芝居は続くんじゃないだろうか。
と感じるくらい、客席からの物理的な距離からは
考えられないほど別次元の別世界がすぐそこにできていた。
あと、例によってたくさんチラシを配られたんだけど、
寺山さん関連のがチラチラあった。
寺山さんは、現実と劇の温度差を引っ掻き回したことと、
言葉のかっこ良さで時代を超えつつあるが、
松尾さんは時代を超えるんだろうか?
超えるとすれば、何で超えるんだろうか?
トリッキーな動き?
時代をつかむ感覚?
時代を弄ぶ言葉遊び?は時代を超えることが可能か?
これからどこに向かっていくのか、
楽しみだぜ、松尾ちゃん!