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知的財産制度の胡散臭さを説明するヒント

今日はやろうと思っていたことがあったんだけど、
昨日呑み過ぎて体だるいし頭痛かったので、
家でグズグズしている。


で、私はだいたい昼飯をくいにいくときには
部屋にある本を適当にもっていくのだが、
今日は保坂和志の『途方に暮れて、人生論』を
持って、麻婆豆腐定食を食ってきた。



それで、帰ってきてからもそのまま、
この本をグズグズと読んでいるんですけど、
やっぱ、超、良いわ。保坂和志。大好き。


で、228ページからの「カネのサイクルの外へ!」という題の
文章の中に、これが私が知的財産に感じる胡散臭さの理由なんじゃないか?
ということが書かれていて、ハッとした。


と、いうか漱石の『我輩は猫である』の一説が紹介されているんだけど、
そこで、昔のギリシャ人は非常に体育を重んじたので、あらゆる競技に貴重なる
懸賞を出していた。しかしながら、学者の智識に対して褒美を与えたという
記録はない。これはなぜか?という問いがあって。


この問いに対するアリストテレスの回答が紹介されている。
いわく、褒美とは、その技芸よりも貴重なものでなくてはならない。
もし智識に対して報酬を与えるとしたら、智識以上の
価値あるものを与えなければならないが、智識以上の珍宝は存在しない。
智識に匹敵する褒美はないことをギリシャ人は知っていたのだ。


私は、知的財産(財産的価値のある情報、智識)を、
権力によって独占させたり権利を与える、なんて、ナンセンスですよ!
と、基本的に思っているわけなんですが
(だからこそこの知的財産という制度に興味があるわけなんですが)、
知的財産という制度の胡散臭さや傲慢さを、↑あれをつかって説明できるかもしれない。


と、いう着想を得ました。