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ウェブと知財と養老さん

養老孟司というイカれたオジサンがいて、『バカの壁』とかがバカ売れしてちょっと読んだけど大したこと言ってねえなと思ってこの本は結局最後までは読まなかったけれど、養老さんという人を私はなんとなくスキで、この人は虫が好きすぎて箱根に自分専用の虫博物館をつくって喜んだりとかそういうイカれたことをやっている愉快なオジサンだ。私は湘南地域に住んでいる人をほぼ無条件にリスペクトしているので鎌倉在住ってのもスキな要素だし、私が大学の法学部に入学したときに「法学入門」みたいな企画雑誌をたまたま読んだら養老さんが「これから法学を学ぶ若者へ」みたいな文章をかいていて、なにがかいてあったかあんまり覚えていないけれどなんかスゴクいいこといっていて感動したことは覚えている。

で、養老さんが梅田望夫・平野啓一郎の対談本『ウェブ人間論』の書評をしたテキストがウェブ上にあって、私はこのテキストがスキでたまに読み返しているんだけど、今日もフト思い出して読んでみたらやっぱりスキだった。

スキなポイントは2箇所で、まず、

時代というものがあって、いまの時代は年寄りが威張る。そのつもりはなくても、生きている以上、ジャマになるのは仕方がない。そんな時代に若い人はどうすればいいか。いちばんまともな生き方は、年寄りがダメな世界で頑張ること。ならばウェブは格好の分野ではないか。
ウェブを面白がる年寄りが面白がった二人の対談

というところ。実際に日本で脳科学という分野を切り開いてきた男の文章として、素直にグッとくるものがあります。ここは今後も何度か読み返して勇気付けられると思います。

あと、↓ここ。ここは、今後も何度か読み返して、「それでも私はウェブに期待する」という趣旨の私なりの回答を構築していきたいと思っているんだけど、まだ、↓これに対する建設的な意見を語り抜く程、私には知識も経験も思考も足りていない。

最後に年寄りの意地悪を一言。世界は二つに分かれる。「脳が作った世界(=脳化社会)」と、「脳を作った世界(自然、といってもいい)」である。私は「脳を作った世界」にしか、本当は関心がない。本書でいわれる「リアル社会」を、私はかねがね「脳化社会」と呼んできた。ネットの社会は、私から見れば、「リアル社会」がより純化したものである。「ネットに載る以前の存在」を「どうネットに載せるのか」、それだけが私の関心事だったし、いまでもそうである。ネットに載ったらそれは情報で、私の真の関心は情報化そのものにある。なぜなら私は年寄りで、情報化社会以前に発生した人間だからである。山中に閑居した李白は詠む。別に天地あり、人間にあらず。この人間はジンカン、つまり世間のことである。
ウェブを面白がる年寄りが面白がった二人の対談

「「ネットに載る以前の存在」を「どうネットに載せるのか」、それだけが私の関心事だったし、いまでもそうである。」
・・・。そうである、そうである。私もそのつもりである。
「ネットに載ったらそれは情報で、私の真の関心は情報化そのものにある。」
・・・。そうである、そうである。私もそのつもりである。
私はその「情報化そのもの」について考えていたら、ジャーナリズムからソフトウェア開発を経て知的財産というフィールドに辿り着いて、知的財産という切り口で「情報化そのもの」について日々考えているつもりである。でも、そいでじゃあお前どうだ、と言われてもまだ、養老さんから発せられる↑これに対してはなんといっていいかわからない。

とりあえず今のところ漠然と感じているのは、例えば、電子がウリウリ動くという「脳を作った」法則を前提として何か便利なものを作り出すいわゆる伝統的な電気分野における発明と、TCP/IPとかの「脳が作った」法則を前提として何か便利なものを作り出すウェブにおける発明とは、結局のところ、どちらもある法則を前提として何か便利なものを作り出すという動機や思考や工夫自体に質の差があるわけでは無い、ということを考えれば、その両者を分けて考えるのは実はナンセンスなのではないか?・・・ということかも知れません。そもそも、「自然」とはもうひとつの「脳化社会」であり、「脳化社会」とはもうひとつの「自然」である、という相対性の思想化は、ウェブ時代の科学にとって重要な課題のようにも思われるのです。

何はともあれ、ナフ・リスペクトです、養老さん。

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