It's Not About the IP

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情報に関する法規範に興味をもったきっかけのようなもの

人類史上初めての全世界同時進行の革命であるIT革命において、その革命で形成される国境なきインターネット社会の法規範とは、如何にあるべきなのか?どこに向かうのか?ということを考えるには、情報とはなにかについての規範である知的財産という思想から攻め込むのが建設的であるように思った、というのが私がSIにいってから特許事務所にきた動機の根本のところだったりするのですが、こうかくとすごい壮大ですね、なんか。

まあでもそうで、そもそも、インターネット社会の法規範に感心をもったきっかけは、学生のときに、サイバースペースにおけるレイプ事件を知ったことでした。この事件に関する論文『A Rape In Cyberspace』by Julian Dibbellは、学校の勉強なんか特にやる気ない現代的グダグダ大学生の私が知ってたくらいだからけっこう有名だったんだと思うんですが、事件の概要は以下のようなものです。

あるところに、複数ユーザが集まって、それぞれのユーザが自身の分身であるキャラクター(いまでいうアバター)を操作することでコミュニケーションをするコミュニティサイトがあったのでした。あるとき、そのサイトをクラックして制御をのっとったヤツがいて、ソイツのキャラクターは、そのときにそのコミュニティサイトにいた他のキャラクターをレイプしまくったのです。他のキャラクターのユーザは、自身の分身であるキャラクターが逃げることもできず無残にレイプされていくのをみているしかなかった。自身のキャラクターは自分自身であるかのように愛着をもっていたユーザは、まるで自分がレイプされたと同様の苦痛を味わった・・・というわけです*1

ここで興味深いポイントは、これをレイプとして裁けるか?という問題です。レイプとは、その他の傷害なんかとは異質の罪であるということになっていて、要するに単なる傷害とかよりも罪が重いということになっている。それはなぜか?という理屈付けとしては、単なる傷害よりも、精神的苦痛が大きいから、ということにだいたいはなっている。それはまあそうでしょ、ということでだいたい誰もが納得していた。
で、ネット上でのレイプは、物理的な身体的な苦痛があるわけでは(一応)ないけれども、レイプという罪が、本当に純粋に精神に与える苦痛に対する罪なんだと考えれば、ネット上のレイプはもう100%、レイプなわけです。でも、ネット上でレイプされた苦痛と、実際に肉体的にレイプされた人の苦痛とが等価ではないことは明らかです。じゃあ、ネット上のレイプとは、なんなのか?この事件を、法はどう扱うべきなのか?という問題は、刑法という規範の在り方を根本から揺さぶっているようにみえたのでした。そしてこれは、いろんなことをボーっと考える時間だけは充分にあった学生時代の私にとって、情報技術革命がつくりだすネット社会は、いまあるあらゆる法規範を根底から問い直していくことになるだろう、という予感を感じるには充分にエキサイティングな問題だったのでした。

*1:これは10年以上前の話で、まだ文字ベースのコミュニティサイトだった。いま、セカンドライフとかで同様の事件が起きたらかなりリアルな苦痛を受けそうだし、けっこう大変な話題になるだろうな。