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いまんところの私の宗教観

公に政治と宗教のハナシはするな、というのがオトナ社会の暗黙のルールらしいんですけど、改めてフト考えたので、ちょっとだけ、いいですか?

いまさっき家に「ものみの塔」配る人がきて、いりませんといったらすぐに帰っていった。とても礼儀正しくて好印象ではあったけれど、前一度どんなもんかと思ってもらってみたら結局あんまりちゃんと読まないまま捨ててしまったので、もらうとうれしいんだったらもらっても良いんだけど、紙ももったいないので最近はいらないと言うことにしている。

宗教というのは普段は意識していないけれどたまに思い出して考えるにはかなりハマってしまうテーマで、私は多分日本人に典型的な無宗教なのだけれど、宗教と聞けば嫌悪感を感じるほど稚拙な宗教観を持っているわけではないつもりです。でも、特定の宗教を信じる気持ちはよくわからん、というのがホンネです。

宗教に関する体験をいくつか思い出してみると、例えば親戚のオバサンで某学会に入信(?っていっていいのかな?)していた人がいて、そのオバサンはけっこういい年なんだけど結婚してなくて、たぶんしたくなくてしてなかったわけでもないんだったんだと思うんだけど、多分そういう孤独みたいなものと付き合っていく過程で寂しくなったときがあって入信したんだと思う。そのオバサンは独身のまま60手前くらいで若くして病気で亡くなってしまって私も葬式に出席したのだけれど、葬式にはたくさん人がいて、こっそり裏できいたらその某学会の人たちがたくさんきてくれているのだという。と、いうかその葬式自体がその某学会の方式だったんだっけな?忘れちった。それでまあそれをみながら、うーん、これは良いことだなあ。と思った。孤独っていうのは気を抜くとけっこう簡単に感じるというか、誰でも不安になるときはあると思うのだけれど、血縁関係とか近所的な人付き合いとか仕事的な人付き合いとか経済的な利害関係とか、そういうのに関わらず「同じ宗教を信じている」ことをもって、自分が死んだときにその人たちが自分のことを弔ってくれる、という安心感をオバサンに与えていたであろうその某学会は素晴らしいことをしているんだな、と思ったし、感謝もした。あ、でも私は入る気は全くありませんのであしからず。

私は、宗教は?とか聞かれたときには、昔は「(手塚治虫の)「火の鳥」教の信者です。」とか答えていたりした。『火の鳥』は物心付いた頃からかなり何度も読んでいて思想形成にかなりの影響を受けているのでこの答えはあながち間違いじゃないと思ってるんだけど、学生のときにヨーロッパに一人でバックパックでいって、どっかの宿でどっかの西洋系の外国人と呑んでいたときに、お前、宗教は?と聞かれて、火の鳥教だとかいう冗談は通じないだろうから、「特に信じてないよ」といった。あれ、違うかな、どの神を信じているんだ?と聞かれたんだっけかな?で、別に特定の神は信じてないよ、といったんだっけかな?そしたら冷静だけどけっこうな剣幕で、「俺は別に、俺と同じ宗教をお前が信じていなくたって良いと思っているぜ?なんだっていいんだ、何を信じているんだ?キリストか?イスラムか?ヒンズーか?ブッディズムか?何も信じていない?神を信じていないのか?神がないということは、お前は、無(Nothing)だ、ということだぜ?」といわれてオタオタした。オタオタしながらワインを呑んだのは覚えているけど、なんて答えたんだっけなー?確か、「ああまあ、そういう意味じゃあ神のようなものは信じているよ、俺は家族を信じているし、恋人や友人を信じている。辛いときやなにかにすがりたいときには彼らの顔を思い出すし、あと、日本には全てのものに神が宿っているという考え方があって、俺もそんなようなもんだ。だから特定の神を信じてはいない」とかいった気がする。でもソイツはどうにも納得しない顔をしたまま話題は違う方向ヘ向かってそのままワイワイと呑みまくった気がする。

私の宗教観は、今もまだ結局こんな感じだなあ。

せっかくなので今思い出す宗教感をさらけだしておくと、先日渋谷を歩いていたら、駅前のでかい画面で上述の某学会の宣伝映像が流れていたのにはかなり引いた。こ・・・これは、「ともだち」*1だ!みんな、気付いてるか?とか思ってキョロキョロしてしまった。みんなそんな映像が流れているのとは関係なく、楽しそうだった。

あと、デフテックの音はかっこ良かったし、海的なピースなバイブをすごく感じるけど例の某学会なのはなんとなくマイナスのイメージ。あと三船美佳がけっこうかわいいだけに、あのどこがロックだかよくわからんオッサンと結婚して仲良さそうなのがその某学会絡みかとおもうとなんとなくムカつく。

あと、波乗りをしていると「俺は、サーフィン教の信者だ」という人がけっこういる。これはけっこう受けいれやすくて、なんというか、分かる。波待ちをしながら何十分も沖を眺め続けていたり、そして波がくるけど同じ波は2度とこなかったりとか、そういうのを通して人間の領域を超えた大自然の力みたいなものをスゴク感じるし、サーフィンは人間関係とかもすごくいろんなことを学べる。そもそも波に乗っている最中は、この波の割れるとこの空間にしかない波の飛沫とかを吸い込むことでマジになんか脳の中でへんなモンが分泌されているんじゃねえかと思うような、スゴク特別な気持ち良いことになるので、あの遊びはスゴク神秘的だし宗教的だと思う。あと、単純に「水の上をすべる」という行為が、イエス・キリスト的な奇跡を想起させるみたいなものもあったりすると思います。

あと、日本発の某オープンソースの俺様言語の開発者のレジェンドプログラマーをすごく尊敬しているしできた人だなあと思うけど、例のキリスト教系?の宗教の信者を公言していることには正直まだちょっと引いている。でも、ああいう風にオープンにいろいろ宗教について語ってくれることで、宗教という考え方自体が親しみやすいものになっていけば良いなあ、とかは思っている。

あとはアレですねーマージャンとかたまにしかやらないですけど、あれやってると意思や思考とは関係なくツイてる時とツイてない時というのが厳然とあって、そういうときは人間の力を超えた超自然的なものを感じたりもしますよね。

あとはまー戦争とかって宗教とかいってっからなるんだよ、何かを「絶対」と信じることは偏見や対立を生むにきまってるじゃねーか、「絶対」とかいうなよなー、とかは正直思っている。

と、いうあたりが平凡な20代後半のニッポンジンの私のいまのところの宗教観ですかね。

*1:cf.

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