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「フェアユース」の議論について

さいきんは「フェアユースこそが混迷を続ける著作権法に活路を開く万能薬」みたいなことがウェブ上で言われていて、永田町や霞ヶ関あたりのエライ人たちもついに「フェアユースの導入」を公に言い出したんですけど、反論のようなものを全くといっていいほどみかけないのがキモイので、本当にそれで良いんですか?ということをかいてみることにしました。

フェアユースの法理」は著作権法上の侵害の定義の話で、アメリカ様の著作権法運用上の法理なんですが、ようするに「著作権侵害の定義は法律でギチギチに固めないでおくから、文句がある人は当事者同士で争ってね」という法理です。だから、フェアユース概念を輸入するということは検索サイトを合法化することでも動画サイトでのパロディを合法化することでもなんでもなくて、どこまでオッケーでどこからアウトかという境界を定める負荷を一般ピープルに負担させるということです。アメリカではグーグル様がこの法理に基づいて莫大な資金を投下して裁判をし、「検索サイトでのキャッシュにおける複製は合法」というのを勝ち取ったからアメリカでは検索サイトがオッケーになったってだけの話で、日本で検索サイトが合法化するためには、正式な手続きを踏むなら「フェアユース」輸入の後に個人か企業か検察かなんかがグーグルだかyahooだかgooだかを訴えて、それで訴えられた側が勝たなければ検索サイトは合法ってことにはならない。パロディ動画も同じ。フェアユースの法理は、侵害について裁判での抗弁の余地を与えるってだけで、別に具体的ななにかを合法化するわけではない。

だいたい、永田町や霞ヶ関あたりのエライ人たちがキャッチーなカタカナ語をしゃべり出したときは注意した方が良い。そもそもそんなカタカナ語使わなくたって、じゃあ例えば同じ知的財産法である特許法はどうしてるのかっつーと、特許権の侵害はきっちり定義されてるんだけど試験とか研究とか、もともとあったもんとかは侵害になりませんよーという「適用除外」の規定(特許法第69条)があったり、権利になっているけど明らかにおかしいよねーという権利に基づいた権利行使は認めませんよ、という「権利濫用の抗弁」の規定(特許法第104条の3)とかってのがあったりして、というか最近できて、というか日本の最高裁で何年か前に判例がでてたのが最近法律として明確にされたりとかっていう動きがある。この辺の動きは日本のカルチャーの中で日本の専門家たちが議論して日本の裁判所で日本の法律の専門家同士が争ってできた仕組みだから、受け入れるにも文句をつけるにも建設的な議論ができる。

だから、著作権だって日本のカルチャーの中での判例とか学説とかの積み重ねとか適用除外の規定はいかにあるべきかとかそういう方向から建設的な議論がされるべきなんであって、なんだかよくわかんないけどアメリカ様がうまくやってるフェアユースというありがたい概念を輸入することにより混迷を打破できるみたいよーなんてそんなことでは何も解決しませんよ、といいたい。まあとりあえず「フェアユース」というありがたいフレーズを使わないで議論すべきなんじゃないかと思いますね。このフレーズはキャッチー過ぎる。

とはいっても情報革命の煽りを受けて著作権法スパゲッティコードな状態なのは間違いないですし、ほっといたらますますグズグズになっていくだけですから劇薬を投入するというか、フェアユースという舶来の概念を強引に適用するという日本の伝統的な文明開化の手法をとるというのはまあ政治的にはアリなのかも知れませんけど、100年前に夏目漱石がdisりまくってるそういう手法でしか法的に進化できないってのは、なんか残念な気がします。