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It's Not About the IP

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弁理士とは?【7/1は弁理士の日・ブログ合同企画】

このエントリは、 @benrishikoza さんの呼びかけ「『7/1は弁理士の日!』弁理士の日に「弁理士とは?」をテーマに記事を書きませんか?」に賛同したものです。 (twitterハッシュタグは→ #benrishinohi)

私は弁理士試験の受験生であり、明明後日に2次試験(論文試験)を控えて勉強もラストスパート、こんなノンキにブログエントリなんかかいてる場合ではないのですが、まあアレじゃないですか、試験勉強とかやってるとヤケに部屋片付けたくなったりとか、関係ないこと一生懸命考えたくなったりとかしません?まあそんなわけで、エントリかきます。

私が弁理士という資格が存在することを知って、オモロそうじゃーんと思ったのは某SIでプログラマ(SE)をやっていたときでした。弁理士についていろいろ調べていると、とある某巨大掲示板で「弁理士は法律家といえるか?」というような話題が目に付きました。いわく、弁理士試験は他の法律系資格と異なり憲法民法などが試験科目にあるわけではないし、仕事も技術の話がほとんどで法律論をやっているわけではない・・・というような。

さて、弁理士は法律家でしょうか?

これはなかなか哲学的な命題です。マスコミかジャーナリズムか、みたいなもの、かどうかはよくわかりませんが、例えば司法試験に合格して法曹資格を得たからといって即、法律家であるといえるわけではないしょう。と書きながら私が思い出しているのは、

「法とは正義であり、それが全てである。それを忘れた法律家は、法律家とはいえないのだ。」

という言葉です。イメージだけが残っているので文言は正確ではないかもしれませんが、学生のときに読んだ法学者・渡辺洋三さんが書いたなんかの本に書いてあったんだと思うけど何に書いてあったかは忘れた。

正義とは原始的には、「目には目を、歯には歯を」であり、「やられたらやられただけの苦痛を相手に与える」ことでした。語弊があるのを承知でわかりやすさ重視でいうなら、それはいわゆる「アメリカ的正義」です。かの9.11のとき、正義の下に叫ばれたのは「徹底的にやり返すべきだ」という思想でした。アメリカの法務省は「Ministry of Law」ではなく、「Ministry of Justice」なのです。

しかしながら、もうそんなこといってる場合じゃない、やられたらやり返すばかりじゃ脳がない、ということは段々とわかってきた気がします。「目には目を、歯には歯を」は紀元前18世紀、4000年前のハムラビ法典の話です。人間はもっと色々と学ばなければなりません。人間が地球上でエラソーにしているのが許されるのは、人間が知的生物だからです。人間は、学ばなければなりません。それが、人間の使命だからです。って、マスターキートンが言ってた。

MASTERキートン (3) (ビッグコミックス)

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正義とはむしろ、「正義の反対は悪ではなく、別の正義である」ということを理解することです。刑事犯の弁護士というのは例えば最悪な殺人鬼の弁護とかをして、「あんな最悪な殺人鬼を弁護するやつなんか頭おかしいんじゃないか」と後ろ指を指されたりするわけですが、生理的にはそんな弁護なんか誰もやりたくないんじゃないでしょうか本当は。それでも、その殺人鬼である依頼人にもやっぱり人権はあるんだ!と叫ぶことは、なんだか公平であろうとする感じがしますし、正義であろうとする感じがします。そうやって弁護士が可能な限りの知恵を絞って依頼人を弁護し、一方、検察官が可能な限りの知恵を絞って反対の立場から論理を構築し、一方、裁判官は可能な限りの知恵を絞って公平なラインを判断する。そうやって各方面から知性をぶつけあってトコトン話し合った末に、ギリギリの妥協点をみつける。それが正義ってことなんだと思いますし、民主主義ってことなんだと思います。「法がどうあるべきか」は、その先で、別の場所で考えるべきです。

ところでイカした法律家といえばなんといってもあの人、マンガ『HEAT』の主人公の父ちゃんです。『HEAT』は『サンクチュアリ』の北条彰と浅見千秋が一人になったようなナゾの男、唐沢辰巳が新宿歌舞伎町に現れて警察や暴力団、外国マフィアを相手に立ち回るハードボイルド劇ですが、この男の過去が次第に明らかになっていく過程で、この男が幼い頃、アメリカで弁護士をやっていた父ちゃんと暮らしていたエピソードがでてきます。

父ちゃんは、なんでか忘れたんですけどアメリカで生活に困っていたかなんかして、誰かに養ってもらったかなんかして優秀な弁護士になります。それでその恩人にあるとき、あるサイテーな殺人容疑者の弁護を頼まれます。父ちゃんは、その恩を返すため、可能な限りの論理を構築し、可能な限りの根回しをし、あらゆる手を尽くして殺人容疑者を弁護してついに無罪を勝ち取って恩に報います。しかし、この殺人容疑者こそが真犯人であると確信していた父ちゃんは、無罪判決を勝ち取った直後、銃を取り出して殺人容疑者を射殺し、「”義”のなき信念は”無”に等しい」と言い放って、殺人容疑者を射殺したのと同じ銃で、そのまま自分の頭を撃つのでした。

Heat 4―灼熱 (ビッグコミックス)

Heat 4―灼熱 (ビッグコミックス)

父ちゃんがいった言葉の意味は、「だから殺人容疑者を弁護するべきでなかった」のか、「だから恩を果たした」のか、あるいはもっと他のなにかだったのか、そもそも子を残して自殺とかものすごく「義」に反するんじゃないか、などの疑問は残りますが、殺人容疑者を全力で弁護した父ちゃんは、法律家として正しいことをした、とはいえるでしょう。

とかなんとか思っていたときに世の中で起きていた事件は、かの「winny事件」でした。ファイル交換ソフトwinny」の開発者は犯罪者として逮捕されました。私には、


(*Warezツール著作権を侵害する非合法な方法で情報を送受信するための裏ソフトウェアツールのこと)

言い切れるほどの技術理解はありませんでしたが、winnyの事件が、その本質において単純な刑法の問題ではないことはわかります。これは、情報技術が生み出した法律の亀裂のところで起きている問題です。これは「サイバースペースで起きるアバター間のレイプ事件を法はいかに扱うべきか問題」の延長にあります。これは情報技術の革新によって湧き出てきた様々な情報をいかに扱うべきか、という問題であり、知的財産法の存在意義が「情報の財産的価値を守るという点にある」(中山信弘『工業所有権法』p.5)とするならば、これはまさしく知的財産の問題なのです。

情報技術の革新によってのたうちまわる知的財産は、解かれるべき問題で満ちています。

少なくとも情報技術関連でいえば、クローズドにつくられるプロプライエタリなソフトウェアに限らず、オープンソースフリーソフトウェアから優秀なソフトウェアが出てくる世界で、「技術を公開する代償として独占権を与える」という枠組みが有効に機能するのか、というのは改めて考える必要があるでしょう。知識や情報を独占することで利益を得ようという仕組みが、インターネットという仕組みとマッチするのか、というのは考え続けていく必要があるでしょう。

でも、じゃあどうすれば良いのか?というのは、まだ誰もわかりません。GPLコピーレフトBSDX11、CCなど様々なライセンス概念が提唱されてきていますが、おそらくはこれらのどれもまだ「正解」ではないでしょう。
知的財産は、解かれるべき問題で満ちています。

そんなわけで知的財産について考えることが面白すぎるので、知的財産を学んで、明明後日には、知的財産の専門資格である弁理士試験を受けてきます。そしていつか弁理士試験に合格して弁理士になったとして、依頼人にプロプライエタリなソフトウェアの特許をとることを頼まれたとしたら、しかし私は可能な限りの論理を構築し、可能な限りの根回しをし、可能な限りの知恵を絞って、特許庁の審査官と論理をぶつけあい、そのプロプライエタリなソフトウェアの特許権利化に全力を尽くすでしょう。
なぜなら、弁理士とは、法律家だからです。


マスコミかジャーナリズムか (朝日文庫)

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↓GOREのリリックに「”義”のなき信念は”無”に等しい」がでてくるニトロの曲