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弁理士試験・口述試験は公平か?

弁理士試験の最終試験である口述試験の発表があって、私はなんとか合格することができました。もう念願の弁理士試験に合格して感謝感激雨アラレ、神様仏様弁理士会様工業所有権審議会様ってな話ですけれども、今年もけっこうな数の受験生が口述で落ちていて、身近にもそれなりに口述落ちをした人がいて、すごく真面目に勉強していたのに二度目の口述落ちの人もいて、そんな人の話を聞いていたらすごく悲しい気持ちになってきたので、カッとなって書く。

口述試験は公平か?

最近の弁理士試験の口述試験は他の国家資格と比べてちょっと変わっていて、最終試験なんだけど3割〜4割程度の人が落ちる。試験なんだからそれなりに落ちる人がいるのは当然じゃないかと思うかもしれないけれども、これが不公平なんじゃないか、ということがけっこういろんなところで言われている。受験生のみならず、受験機関の先生とか、弁護士とか弁理士とかでも、この試験はちょっとおかしいということを公言する人は少なくない。で、何がどうなの、っていうことを、自分なりにまとめておこうかな、と思ったのでした。

受験資格があるのは、短答(1次試験)と論文(2次試験)を突破した者のみ

短答はマークシート方式の択一で60問、各問だいたい5枝くらいの問題を3時間30分で解く。これは当然全員同じ時間で同じ問題を解いて、正解は○か×かで決まるから、これはほぼ公平と言って良いと思う。人によってその日の体調が違ったりとか、遠くから受験する人は朝早くに家を出て試験場に行かなければいけなかったり、当日にいけない人は近くのホテルに前泊しなければいけなかったりするという意味では不公平ともいえるかもしれないけど、出題される問題は全員同じだし、正解か否かは機械で判定される(はずだ)から、解答の正誤に採点官の主観が入りこむ余地はない。と思う。合否を分ける点数、いわゆるボーダーをどこに引くかには主観も入り込むと思うけど、この主観は全ての受験生に平等に適用される。

論文は特許法・実用新案法を2時間、意匠法を1時間半、商標法を1時間半で書く。これが弁理士試験最大の難所と言われていて、大体の受験生はこの論文試験を最大の山として照準に捉えて勉強する。これも全員同じ時間で同じ問題を解くけれども、同じ採点官が全員分の採点をするのは困難というかほぼ不可能だから、採点官のバラツキというのはたぶんそれなりに出る。そういう意味ではそれなりの不公平さはあるのかもしれない。これに対しては、採点を担当した採点官ごとの偏差値を出して、点数調整することが公言されている。で、論文は大雑把な評価結果は知らされるけれども、具体的にどこがどう採点されたのかというのはブラックボックスだ。採点官が受験生の目の前で採点をしていたら、キミキミここのここだけどどういう意味で書いてるの?というツッコミをいれたくなる部分もあるかもしれないけど、そんなことはどの受験生に対してもできない。で、細かい採点の工程はブラックボックスのままで合否結果が通知されるから、ダメだった場合は、ダメだったかあ、と納得して、勉強するしかない。

で、口述試験というのは、こういう短答と論文との試験を突破した、いわば知識について十分に試された(はずの)人だけが受ける。ここは重要なところかもしれないので2度いうと、口述試験というのは、短答と論文との試験を突破した、いわば知識について十分に試された(はずの)人だけが受ける。

口述試験は日によって問題が違う

口述試験は試験官二人と受験生一人との対面で行われるので、全員一斉にやるのはムリだから、6日間に分けて行われて、つまり日によって問題が違う。これは不公平と考える要素のひとつだろう。どんだけ勉強したって全くムラがないなんてことはあり得ないし、まあもちろん最低限必要なところを全範囲に亘って抑えることは当然に必要だけど、最低限必要なところだけ聞かれるわけじゃないですからね、口述試験、いやホント。例えば今年の二日目の商標では、マドプロで「暫定拒絶通報」という言葉がでたり、拒絶理由が解消した場合の拒絶通報の「撤回」が必須のキーワードだった(取り消しや消滅、無効、取り下げ等では不可)ようですけれども、実務やってる先生には当たり前なのかもしれないですけどね、ほとんどの受験生にとってはこんなのクイズの域だと思いますよ正直。まあだからこそ相当の助け舟がでたようですけれども、こういう聞いたことない言葉言われて、テンパらないでちゃんと誘導に乗って答えられるか、なんてのは、まあそういう対応力というかブラフ能力をみたいんだと言われればそうかもしれないですけど、明らかに他の日の問題とは異質で、なんというか知識とか思考力とかいうのとは別スキルだと思いますね。

人によって試験官がちがう

口述試験は、いくつかのラインに別れて行われるので、同じ日でもラインによって試験官が違う。対面で行われる口述試験の合否というのは結局、試験官の心象によって決まるもので、試験官によって厳しさは異なるし、許容ラインや助け舟の出し方も違う。これも不公平と考える要素のひとつだろう。私は当たらなかったようなので伝聞でしかなくて真偽は語れないけれども、口述試験には、当たったらその科目は落としたと思え、というBear氏やBeard氏と噂される鬼試験官がいると伝えられている。確かに、知的財産制度を真剣に考えれば考えるほど、要求レベルがあがり、厳しくなるということはあるでしょう。それが悪いことだとは思いません。しかし、もし「特定の試験官が担当する部屋で行われた科目にCがついている割合が他の試験官の部屋と比べて明らかに多い」ということが本当に起きているなら、これは、国の法律を担う者を選抜する国家試験として、すごく恥ずかしいことだと思う。これが本当に起きているなら、これは「まあまあ、しょうがない、ハズレだと思って、他の二科目とればいいんだし」なんて話ではなくて、しょうがなくなんかなくて、衡平を理念とする法律の、国家資格の試験として、すごく恥ずかしいことなんじゃないかと、思うんですけどね。

かつてはどうだったか?

で、こういう口述試験はシステムとして不公平にならざるを得ないと考えられていた、からかどうかは知らないが、かつての口述試験の合格率は90%を超えていて、落ちるのは数人だった。その落ちる数人というのは、明らかに挙動不審とか、明らかに相応しくない風貌だとか?よくわからないけど、そういう人だけだとされていた。それはおそらく、短答と論文との試験で知識については十分に試されている、と考えられたからだろう。

他の主要国家資格は?

  • 旧司法試験で行われていた口述試験は、科目ごとに15分〜1時間程度の時間をかけて丁寧に行われていた。らしい。だから、ちょっとしたブラフや誤魔化しなんかは効かなくて、知識があるのかどうかということが丁寧に試験されていた。らしい。
  • 新司法試験では、口述試験は不公平だからなのか、明らかに不適切な人物はそもそも法科大学院で単位とれないと考えられたからなのか、かどうかは知らないが、とにかく、口述試験は廃止された。
  • 新しく始まった予備試験には口述試験があるらしいが、これで落ちるのは数人、合格率は90%を超えているようだ。
  • 司法書士試験では口述試験があるが、合格率は90%を超えているようだ。
  • 公認会計士試験、税理士試験では、口述試験はないみたいだ。

ぼくのおもうつれづれ

で、これが公平なのか不公平なのか、というのは正直よくわからない。完全に公平な試験なんてのは有り得ないし、試験というのはそういうもんだといわれればそうなのかもしれない。本当に優秀な人はどの日のどの問題でどのラインでどの試験官でも受かるべくして受かる、といえば確かにそうなのかもしれないけど、知識も思考力も全然足りてなくてどの日のどの問題でどのラインでどの試験官でも落ちる人、というのはたぶんほとんど存在しない。短答と論文受かってるんだし。そして口述メインで一年間勉強して答練等でいろんな受験生をみてきた体感でいうと、本当に優秀な上位の層、ってのはむしろマイノリティで、マジョリティはどっちに転んでもおかしくない層だ。私個人としては、去年は勉強が足りなかったと思われたのはしょうがないと思っているし、一年間勉強して去年と比べて格段に知識量も思考力も上がったと思っているので、まあ一生懸命勉強して閾値を超えたから受かった、と思っているけれども、じゃあはっきり言って、去年の知識量で絶対受からなかったかと考えると、やっぱりなんかアレだったら受かっててもおかしくはなかったんじゃないか、と思う。去年の口述本試でその後の一年を左右した、商標の最後に答えるべきだった解答は、去年の私でも、知らなかった知識なわけではなかった。脳内HDDには入ってたが、時間内に脳内ポインタがそこを指すことができなかった。それは練習不足だし勉強不足だったんだけれども、もし去年の私の前の順番の人がもう少し時間がかかっていて、私が意匠の部屋から出てきて次の商標の部屋に行くまでにちょっと息をつく暇があったら、30秒だけでも時間があってお茶を一口でも飲んで脳を落ち着かせる暇があったら、商標の試験官が最初の雑談で「商標は簡単ですから、リラックスしてくださいね。では防護標章についてお聞きします」というフェイントがなく始まっていたら、もし試験中に、窓の外から「トカトントン」という金槌の音が聞こえてきていたら…そうしたら答えるべき解答を、その場でひらめいていたかもしれない、そうしたら、この一年はなかったかもしれない、とは、今でもやっぱり思う。去年落ちたときに、腑に落ちるような落ちないような、私と同程度の知識量で受かってる人ってけっこういるんじゃないか、と思って、それは一年を経た今でも、やっぱりそう思う。えっ、そんなことも知らないの?と思ったけど受かってる人はいるし、ぶっちゃけ既合格者(弁理士)と話していて、えっ、そんなことも知らないんですか?と思ったことも一度や二度ではない。わからないところを弁理士に聞いたら、「あー、そこはちゃんと勉強しないまま受かっちゃったんで知らないんだよねー」と言われたこともある。それが悪いとは思いませんよ。そりゃあムラあるだろうし、全て完璧に知ってるなんてあり得ないですからね。だから結局、一部突き出たマイノリティがいるとしても、口述試験なんてほとんどはどんぐりの背比べで、そこですり抜けるかどうかって、やっぱり運の要素は強い。
去年、落ちて腑に落ちるような腑に落ちないようなモヤモヤしていたときに最も説得力があったのは、ふとみかけた秋元康氏の言葉でした。曰く、ジャンケンでセンターを決めるというのは、不公平なんかじゃない。スターというのは、ここぞというときに、ジャンケンで勝つものなのだ、と。そうか。これかと。確かにそうだ。と、強引にでも納得しないとやってられないので強引に納得して、私は一年間頑張って勉強して受かったけど、やはり努力をしてきて二度目も口述試験で落ちた人が、身近にもそれなりにいる。彼らと同程度の知識量や思考力でどんぐりの背比べをして、受かってる人はいるだろう。もう一年やればいい、その一年の勉強は無駄にはならない、というのもひとつの回答だろう。でも、一年て長い。長いし、なんらかの事情であと一年勉強できない人もいるだろう。そういう、もう一年やればいいとか、そんなこといってる場合じゃない、口述試験は、人生を大きく左右する、一生取り返しのつかない10分間(×3)の勝負なんだ。だから、やっぱりそこは、アイドルの選抜じゃない、法律の試験なんだし、運とか、そういうんじゃなくて、知識と、思考力とか、そういう、努力が実る試験であって欲しい。
口述試験が不公平かどうかはわからないが、落ちた場合にビシッとした納得が得にくく、不幸になる人が多い試験だとは思う。私は幸運ながら?合格することができました。感謝しています。これから研修を受けて、早ければ来年の4月には弁理士として登録できるでしょう。弁理士という職に、誇りをもってやっていきたいと思います。だから、その門である弁理士試験も、誇りの持てる、公平な、公正な、努力が努力として報われる、そういう試験であって欲しいと、願っています。