It's Not About the IP

- IP(Intellectual Property), Computer Technology, Ocean Life, Triathlon, and more

リバタリアニズム事始め。あるいはソフトウェア特許はリバタリアンの夢をみるか。

特許ってなんなん?(ネガディブな意味で)

発明を公開する代償として独占権を与える?インセンティブを与えないと発明が秘匿されて技術も社会も経済も発展しない?

ほんと?

世界で最も使われているOSはLinuxですけど、独占権なんて与えなくても公開されてますしおすし。

AndroidLinuxベースだしOSSだし。最も使われているOSとはつまり最も使われているソフトウェアですけど、この世で最も使われているソフトウェアがLinuxなのはそれが無料だからではなくて、高機能で安定して動くからですけど。最も先にいってるソフトウェア技術にとって特許制度は貢献しているどころかむしろ脅威になっちゃってますしおすし。

IPランドスケープ
は?

ディープラーニングブロックチェーンなんかの尖った分野ほど、特許よりもOSSや論文の世界の方が全然先にいってますけど。

…という疑問が、特許制度に対する興味の根幹にあります。

これは必ずしも特許制度なんてクソだと言いたいわけではなくて、インターネット/ソフトウェアの世界における知財制度は如何にあるべきか、どうあったら技術の発展に寄与できるのかってもっと真面目に考え直した方が良いんじゃないの、という話です。これは実務的にいえば、インターネット/ソフトウェアの世界で事業をやっていくために如何なる知財戦略をとることが誠実であるか、という話でもあります。

こういう疑問に対して感情論でなく建設的に考えたいなと思って大学院に通い始めたわけですけど、アカデミックな研究のお作法みたいなものを学ぶ中で、リバタリアニズムというのを知りました。論文として何かを主張するのに完全な客観というのはありえないし、思想の軸がないといってることがブレて説得力もなくなる、というわけです。リバタリアンというのはよくわかりませんが共感できるところが多いような気がしていて、一橋大学法哲学の講義をされている森村先生がこのスジの研究をされて本を書かれているようで、せっかくなのでいくつか読んで染まってみようかと思っています。

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

というわけでとりあえずこれを読んだのでメモ。

リバタリアニズムはかつてはリベラルの亜流と考えられていたが、現在ではこのように整理されていることが多い。

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(『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』森村進 p.14)

個人の自由は尊重するが経済への規制や財の再分配を擁護するのがリベラル。

経済の自由を尊重するが個人への介入を擁護するのが保守(コンサバティブ)。

個人にも経済にも介入するのが権威主義(オーソリテリアン)、あるいは人民主義者(ポピュリスト)。この極端な例が全体主義で、ファシズム共産主義はココ。

そして個人の自由も経済の自由も尊重するのがリバタリアン。基本的に、国家権力に裏打ちされる不効率な官僚機構に任せるよりも、市場経済に任せる方がうまくいく、と考える。

リバタリアニズムを分類する試み
リバタリアニズムを、「いかなる国家(政府)までを正当とみなすか」と「諸個人の自由の尊重を正当化する根拠は何か」とを軸としてざっくりと分類すると以下のように考えることができる。共通していえるのは、個人の自由だけでなく経済の自由を尊重する、ということと、自己所有権というテーゼ。自身の精神と身体は、自身が絶対的な排他支配権をもつ。

正当な国家とは

個人の自由尊重の根拠
無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)、市場アナーキズム
国家なんていらない
最小国家
国防、治安、裁判、最低限の公共財の供給
古典的自由主義
←に加えてある程度の福祉、サービスも提供する「小さな政府」
基本権、自然権
生まれながらにしてもつ当然の権利だから
自然権論的無政府資本主義
マレー・ロスバード『自由の倫理』
自然権論的最小国家
ノージックアナーキー・国家・ユートピア
自然権論的古典的自由主義
ジョン・ロック『統治論』
アメリカ建国の父、トマス・ジェファーソン
森村進
帰結主義
その方が結果としてみんな幸せになるから
帰結主義的無政府資本主義
デイビッド・フリードマン『自由の機構』
竹内靖雄『国家と神の資本論
帰結主義最小国家
ランディ・バーネット『自由の構造』
帰結主義古典的自由主義
ミーゼス
ハイエク
アダム・スミスミルトン・フリードマン
契約論
理性的ならそうなるはずだから
契約論的無政府資本主義
ジョン・ナーブソン『リバタリアニズムの理念』
契約論的最小国家 契約論的古典的自由主義
ジェイムズ・ブキャナン『自由の限界』
デイビッド・ゴディエ『合意による道徳』

<雑考・メモ>
・特許というのは国家による設権的権利なので、無政府資本主義の立場からは認め難いということになると思う。
・アイデアや表現というのは人格の発露であると考えれば、特許権著作権は人格権であり基本権であり自然権であるということになるんだろう。アメリカなんかは特許実務的に発明者が誰であるかってめっちゃ厳しくて、あれって自然権的な発想なんだろうなと思っていたんだけどそういうことで良いんだろうか。
知財立国を言い出した小泉政権はやたら「小さな政府」をいっていた気がするが、あれはこのリバタリアン古典的自由主義というやつなんだろうか。竹中平蔵さんはこういう分類でいうとどの辺になるんだろう。
ハイエクというのはそういえば昔本を読んでエントリを書いたな。復習してみよう。
リバタリアンにとって自己奴隷化と臓器売買の是非という頻出命題があるらしいんだけど、自己奴隷に対する森村先生の見解は、「非。なぜなら将来の自分は現在の自分にとって他人だから」。こ、これは、、、寺山修司や。去り行く一切は比喩に過ぎない。
・特許の根拠には自然権論とインセンティブ論(帰結主義?)があって、インセンティブ論では最近のOSSによる技術革新とかに説明がつかないので自然権論が盛り上がってきてる、と思ってる。それって理解できるけど、やっぱり無理矢理こじつけた感ないですかね。「特許制度は既にあるからなくすべきでない」という前提に立ってる気がする。でもよくわかんないけど残ってるものは残す、というのもリバタリアンなのかもしれない。
リバタリアン的な発想からでてくるのが裁判所でなく私的な仲介、調停サービスであるADR
リバタリアン的な発想でいくと、刑事罰廃止論というのが当然にでてくる。損害賠償だけで良い的な。ジョンロックによれば、処罰権というのも本来は自然権で、誰もが早い者勝ちで持っていた処罰権を安定性と予見可能性のために集約したのが刑事罰
・「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」。政府は悪である。政府とは、無政府資本主義者以外のリバタリアンにとって必要悪として認める悪である。無政府資本主義者のリバタリアンにとっては不必要な悪である。
特許権著作権は独占排他的な財産権であるが、ここに損害賠償請求権と差止請求権とのを認めるかというのは政策的な問題であって、例えば利用を重視するなら、損害賠償請求権を認めるが差止請求権は認めない、という制度設計は理論上あり得る。
・ジョンロックがいうような、労働の結果として表れた財物はその労働を行った人のものだという考えを適用して、発明や著作物を生み出した者はその労働の成果としての無体財産についての排他的権利を得る、、というのは、一見スジが通っているけど突っ込みどころはある。例えば耕した土地や掘り起こした鉱物や採取した果実は物理的に必然的に独占排他的であり誰かが使えば(消費すれば)他の誰かは消費できないけれども、無体財産はそうではない。誰かが使っても他の人が使えなくなるわけではないし無くなるわけでもない。やはり無体財産は本来的に財産なわけではない。法律によってはじめて財物となる。無体財産が経済的な価値を持つのは、それが法律によって独占権が与えられて人工的に希少性を与えられるからであって、そうでなければ経済的な価値を生み出さない。ここでは表現や思想としての価値の話はしていない、あくまでも経済的な価値の話。やはり改めてでてくるわけだ、無体財産とは財物か?
・IPは表現の自由に対する制約といえる
・財産権とは、財が希少であるからこそ、その財の支配権に関する争いを解決するためのルール。使ってもなくならないものや無限に複製できるものについて財産権というルールを設定するのは少なくとも自然とはいえない。→森村先生はIPを懐疑的に捉えているようだ ∵自然じゃないから
リバタリアンが国による介入を嫌う理由の一つは、独占をきらうから。独占すると進歩がなくなり、市場による自由な競争状態にあれば進歩があるはずだと考えるから。
・市場による競争というのは弱肉強食をいっているのではない。市場における交換というのは等価交換ではなくて、お互いが利益を得るプラス・サム・ゲームである。
・とすると、独占禁止法というのはリバタリアン的なのかな、、
リバタリアンというのは、個々の人間が合理的で理知的にかつ利他的に行動することへの期待というか信頼のようなものを前提としているような気はする。人間がやってることって本質的には昔から変わらないと思ってるのでこれってちょっと無邪気のような気もするけど、昔は奴隷制度とか当たり前だったけど今日ではそうではないこととかを考えると、人間って全体として賢くなってるよねといえばそうなのかもしれないな。
リバタリアンであるハイエクは、『貨幣発行自由化論』(1976年)において、民間の銀行が競争して異なった通貨を発行する制度を主張したらしい。それってICO、仮想通貨じゃん。

↑以外でとりあえず手元に集めたのは以下。夏の間にこれだけ読んでみる。

法哲学講義 (筑摩選書)

法哲学講義 (筑摩選書)

財産権の理論 (法哲学叢書)

財産権の理論 (法哲学叢書)

リバタリアンはこう考える: 法哲学論集 (学術選書)

リバタリアンはこう考える: 法哲学論集 (学術選書)

リバタリアニズム読本

リバタリアニズム読本

上記リバタリアニズムの思想をインプットした上で、改めてそういう視点で以下の「インターネット時代の知財を考える三部作」を読んでみる。

コモンズ

コモンズ

〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学

〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学

知財の正義

知財の正義