ソフトウェア特許っていったい何得やねんというところから遡って法哲学の森で迷子になっているわけですが、なんだかよくみる自然法論と法実証主義の対立軸というのがどういうことなのかなんとなくわかってきたような気がするのでメモ。
まず、自然法論とか法実証主義とかいうのはあくまでも考え方のフレームワーク。こういうのが自然法論ですよという定義があるわけではないし、パラメータをあてはめたら白黒判定できるアルゴリズムを与えてくれるわけでもない。「法とは何か」という問いに対し、抽象的な法の上位クラス(自然法)を想定することを出発点にして演繹的に考える方法論のひとつが自然法論であり、いまそこに実装されている法のインスタンス(実定法)を出発点にして帰納的に考える方法論のひとつが法実証主義である、とみた。
自然法論的と自然権論的という言葉も使い分けられているようにみえたので何が違うのかと思ったけど、わりとみんななんとなくで使ってるっぽい。文脈によるし、「自然法論」と「法実証主義」も厳密に分けられるもんでもない。見方の問題。
これ系のフレームワークの礎になってるのがホッブズの「リヴァイアサン」。王の権利は神が与えたものであるという王権神授説から脱却するための論理的アーキテクチャの基盤をつくった。これは自然法論的という人もいるし法実証主義的という人もいる。そんなもんだ。
ホッブズがいったことを自然法論的かつ自然権論的かつ法実証主義的に説明すると、まずキリスト教的な世界観を前提として、神がつくったのが法であり、この法は明文化されるか否かを問わず存在している。これが自然法。自分のモノは自分のモノ、他人のモノは他人のモノ。人のモノをとったらダメ。人を殺したらダメ。なぜか?神がそうつくったからだ。人間は神から理性を与えられ、理性とは自然法を認識する能力である。そこで認識した自然法の下で、自分のモノは自分のモノであると主張する権利(財産権)、生きる権利(生存権)などの権利が観念される。これが自然権。
しかし、自然権というのは広い。自分のモノが自分のモノであるなら、他人と闘って奪ったモノだって自分のモノではないか?気に入らないやつを殺すことだって、自分の平穏を保つための権利ではないか?(これが「万人の万人に対する闘争」)
そんなこといってたら秩序はなくなって人類は破滅する。それはいやだ。そこで、人民は、自身がもつ自然権を国家(権力)に預け、国家は国全体が安定するように自然権を運営する。これが国家と実定法の存在意義、存在根拠。国家は国全体をうまくコントロールするために実定法を制定し、裁判所を運営する。この自然権を預かった巨大な権力、それがリヴァイアサン。どういう法を制定したらより良く国を運営できるか?いまある法をどうアップデートしたら国はより良くなるのか?これが法実証主義。
前半の、人は自然法の下で自然権を持った存在である、というところを強調すれば「ホッブズは自然権論者」ということになるし、後半の、国家が実定法を制定して運営して国をコントロールする、というところを強調すれば「ホッブズは法実証主義者」ということになる。
このフレームワークは、法や社会システムは個人と国家の契約に基づくという社会契約論として、後にロック、ルソーなどによってアップデートされていく。現代においてもジョン・ロールズの「正義論」がこの社会契約論を大幅にアップデートした。NHKでこれからの正義の話をしていたサンデル教授はこのロールズの正義論をアンチの立場からアップデートすることを試みている人。
自然法が実体化したのが実定法だといってしまえばどちらからも語れるわけだが、自然法や自然権など存在せず法は実定法でしかありえないという極端な法実証主義者も存在するし(ジェレミ・ベンサム)、法は自然法でしかありえないという人もいる。
自然法論と法実証主義は時代によって使い分けられてきた。古代ギリシャの時代から自然法論の考え方はあって、産業革命に伴って客観的な法実証主義が発展したものの、法手続に則ったナチスの台頭があった反省から、再び自然法論が持ち出されたみたいな歴史があったりもする。
また、安定した時代には実定法を重視する法実証主義が支配的であり、他方、社会の大きな転換や科学技術の発展等によって実定法では理解できない未知の状況に直面する時代に自然法論が持ち出されるようだ。例えば未知の外国との交流が活発化したときなんかに自然法論が持ち出されたらしい。
というわけで、インターネット時代の特許どうあるべきか、という未知の議論では、自然法論的なフレームワークを使って考えるのが馴染むのではないかと思う。
「それでもやはり法実証主義的に考えるべきだ」と考えているのが田村善之先生で、ロールズの社会契約論をあてはめることで知財概念を再構築しようと試みているのが島並良先生ということなのかな?よくわからない。要勉強。
関連エントリ
インターネット時代の知財を再定義する試みβ(1) - It's Not About the IP
インターネット時代の知財を再定義する試みβ(2) - It's Not About the IP
参考論文等
「自然法から自然権へ -権利思想のルーツを探る- 」(阿南成一/1981)
文献的にはもともと「自然法」(lex naturalis)という言葉が使われていたのがたんだん「自然権」(ius naturale)という言葉が使われるようになってきたらしい
https://www.moralogy.jp/wp-content/themes/mor/img_research/12anan.pdf
「21世紀における知的財産権の法哲学的考察 -知的財産権制度の再構築の視点から」(曹新明/2005年)
https://lex.juris.hokudai.ac.jp/coe/pressinfo/journal/vol_7/7_4.pdf
「FCV特許開放の正当化―正義論の視点から」(藤野仁三/2017年)
https://system.jpaa.or.jp/patent/viewPdf/2813
「知的財産権に関するリバタリアンの議論」(森村進/2016年) https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=10777&item_no=1&attribute_id=189&file_no=1
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----以下、メモ----
自然法論
・法と道徳に必然性があると考える
・自然法は正しい規範であるから特定の社会で受け入れられていなくても法であり規範である
・法は成るものではなく、在るものである
・自然法の究極の法源は神である。人間の理性を神から(分け)与えられたと考える場合、人間の理性に従うのは法に従うことである。
・自然状態における義務に注目するのが自然法論的であり、自然状態における権利に注目するのが自然権論的である
法実証主義
・法と道徳に必然性がないと考える
・法は特定の社会で強制力を持って通用している実践であり社会的な事実である
・法は在るものではなく、成るもの、つくるものである
・ケルゼンの(法実証主義)純粋法学
・例えば殺人は不法だからサンクションを課されるのではなく、サンクションを課されるから不法なのである
・悪法も法
自然法論vs法実証主義
≒自然権論vsインセンティブ論
≒儒家vs法家
≒立法論的vs解釈論的
≒自然的vs人工的
≒義務論的vs功利主義的
≒マナーvsルール