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なぜいま知的財産がオモロイのか?(3)

「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」といった宮澤賢治が、農業を経営していたのは偶然ではない。宮澤賢治が現代に生きていたらIT産業に参画しているだろう、といったのが誰だったかは忘れたが、宮澤賢治が農業をやったのは食が人間の基本だからとかでもなくて、多くの人に雇用の機会を与えるためだった。当時、農業は流行の産業で、需要がいっぱいあったから、これを営むことで、多くの人を雇用できた。現在なら、多くの人を雇用する勢いのある産業は、IT産業だ。

雇用が多いのは良いことである、ということに私が気付いたのはいわゆる社会人として働きだしてからで、学生の頃はけっこうイケイケだったから、使えねえやつに仕事がねえのは当たり前じゃねえか、とか思っていた。でも、前のSIerにいたときにちょっと人を使ったりする立場になったりもして、そのときに「使えないなあ」と思う人ってやっぱりいたんだけど、本当に使えない人って本当に使えないから適当に特に意味の無いエクセル入力するだけのお仕事振ったりしてたんだけど、この人に給料あげれる会社ってすげえとこだな、と感心した。そういう人が結婚していたりすると、この人ぜんぜん使えないけど家族を養ってるわけで、この人から仕事はじいたら家族が路頭に迷っちゃうわけで、プロジェクトの生産性とか考えたらはっきりいって他の人連れてきた方が良いんだけど、この人をこのまま使い続けることは、良いことだ、と思った。会社は社会の公器である、というのはこういうことを言っているのか、と、実感を以て考えた。

IT産業がすごいと思うところはたくさんあるけど、例えば、ソフトウェア産業が回るために物理的に用意しなければならないものが少ないのは本当にすばらしい。

宮澤賢治の時代に主流産業だった農業の後に流行ったのは製造業、建設業、重工業とかなんだと思うけど、これは石油とか鉄とかそういう地球から物理的になにかを削り取ることが生産性に直結した。だから重工業はたくさんの人を雇用したけど、水俣病とかの公害病をいっぱい生み出したし、環境破壊をして海が汚くなったり地球が温暖化したりしている。

IT産業にもそれが発達することによるネガティブな面はそれはそれでいっぱいあって、IT産業の発達に伴って(?)ネットが発達するとネットいじめにあって自殺とかそういう暗い面があるし、まだわからないもっとなにか不幸な面がでてくるかもしれないけど、そういうのは多分どんな時代にもどんな産業にもあって(例えば車がでてきたときにはみんななんのこっちゃかわからなくて多分いっぱい轢かれた)、少なくとも、電気とかは必要にしろIT産業は重工業ほどに地球を削ることが生産性に直結する産業ではないから、地球を削らないと経済が回らない、人を雇えない、人が食えない、ということもない。

で、

小学生の頃に学校で道徳の授業があって(今考えると「道徳の授業」ってスゲエな)、森林伐採は温暖化するし地球を壊すから良くないっ!といって、でも東南アジアかなんかそのへんの人たちは、でもそうしないとボクたちはご飯を食べれないんだよ・・・みたいな話があって、そうなのかあ、じゃあしょうがないかもしれないなあ、と思ってシュンとした気持ちに似ているけど、このときもやっぱりシュンとはしたけど腑に落ちなかった。
2008-01-19 Culture First(、Money Second)

という腑に落ちなさに対して、今なら、その時代はまだ重工業が花形だったからそうだったんだけど、いまは地球を削らなくても回る産業が流行だから、木切らなくても食えるようになるかもよ、と、語ってあげられる。「東南アジアかなんかそのへんの人」がITの煽りで食えるようになるためにはまずは少なくとも教育の機会が必要だったり、技術的、経済的、社会的にどれだけのパラダイムシフトが起これば到達できるのかはよくわからないけど、なんかそういう人がITで食えるようになる可能性はちょっとずつみえてきているような気がする。中国の人口は多いから、今後の経済成長で中国の人の平均生活水準が日本と同じ水準になったら地球の資源が即攻でなくなる、と警鐘を鳴らしたのが誰だったかも忘れたけど、これを最初に聞いたのも多分小学生の頃だから多分1995年以前の懸念だ。既に事情は全く違う。ITインフラが進化した後は、生活水準があがることや働くことと、地球を削ることは直結しない。ようになるかもしれない。

IT産業がさらにすごいのは、(地球を削らないで行う)ソフトウェアによる社会インフラの整備にたくさん人を雇って食えるようにする、というその先に、それで出来てくる整備されたネットインフラを飛び交う全て(例えば、コンテンツ)は、時間的、物理的なコストがほぼゼロで流通することだ。流通にもやっぱり地球を削らない。だからこの流通コストゼロのインフラ上で取引できるものをつくるインセンティブってのは経済にとってもあるはずで、しかも、ネット上で飛び交うものってのも、多分あまり地球を削らないでつくられる。ネット上を流れるそれぞれの価値が、モノよりも価値あるものとして捉えられる世界もちょっとずつ見えてきている気がする。それは単純にグラムいくらとかそういう測り方ではない計られ方をするであろう価値で、例えばグーグルが「資本主義のその先」というときに私が思い描くその先のモノに変わる価値はやっぱり情報の価値だし、梅田望夫さんがいうウェブ進化の先に起こる「これからはじまる本当の大変化」のいちばん面白いところはそういうパラダイム変換によるファックな資本主義の崩壊だ。

その触れないんだけど価値のあるなにかは、ともあれネット上でゼロイチで表現されてるんだから情報っていって良いと思うけど、ネット上を流れ得る全ての情報をなんかうまいこと捉えるようにすればそれできっちり経済がまわる気がする。価値は法律的に価値と認められると財産といわれるけど、そういう触れないんだけど価値のあるものに、どうしたら財産的な価値があるといってあげられるか、ということを考えてきた歴史っていうのが人間の歴史にはちゃんとあって、それが知的財産という考え方なんです。

知的財産というのは表現とかアイデアとか発明とか信用とかデザインとかそういう頭の中にしかないもの(情報)を財産として捉える考え方で、例えば著作権とか特許権とかはそういう情報の価値をきっちり財産として捉えようとする制度なんだけど、画期的なのは、著作権という財産権は表現したその瞬間に発生するし、特許では発明が頭の中で完成した段階で特許を受ける権利という法律で規定された財産権が発生する。この思い付いただけで法律的な財産権が発生するというのが知的財産の考え方のすごいところで、なにか他の人に価値のあることを思い付いたりした人は、その時点で財産を得るから、財産を生むために必要なモノは頭だけで、つまり、地球を削る必要がこれは本当にゼロだ。フツウ財産というのは物理的になにかつくったりしないと発生しない。でも、知的財産は、人間の頭の中で発生していつまでたっても人間の頭の中だけにあるもののくせに、財産権として捉えられている。財産権だから売買することもできるし、質にいれたり担保にしたりもできる。頭の中にしかないのに。これはなんだかものすごくImagineだし、雨ニモマケズだ。

だから、農業(第一次産業)→工業(第二次産業)→情報産業(第三次産業)→のその先に、(いま使われる意味とは違う意味での)知財産業(第四次産業)でみんなメシを食う世界をイメージするのは、けっこう自然なんじゃないかと思うし、みんなピースな知的財産の制度を思考することは、つまりすごくオモロイんです。


なぜいま知的財産がオモロイのか?(1)
なぜいま知的財産がオモロイのか?(2)