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ソフトウェア特許から法哲学を経由して遡るトロッコ問題

ソフトウェア特許から遡って法哲学の森をさまよっていたら、哲学界隈で有名なトロッコ問題というのに出会いました。なるほどこれはソフトウェア特許が如何にあるべきかを法哲学的に考えるための訓練としても興味深そうです。

ロッコ問題

政治哲学者のマイケル・サンデルが白熱教室で披露して話題になったトロッコ問題はこれです。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C

ロッコが線路を暴走している。このまま線路を走れば作業中の5人が轢かれて死んでしまう。あなたは線路の分岐器のすぐ側にいる。あなたが分岐器を操作すればトロッコの進路が切り替わり5人は助かる。しかし分岐先には別の1人がいて、5人の代わりにその1人が轢かれて死んでしまう。あなたは分岐器を操作するべきか?

ここでは、この問題を心理テストではなく、第三の答えを探す頭の体操でもなく、上手いこという大喜利でもなく、合理性をもった結論を導くための社会科学的な思考実験として考えます。

功利主義と義務論、あるいは

この問題に対し、分岐器を操作して5人を助けて1人を犠牲にすると答える人がいるでしょう。1人より5人が助かる方が良いというわけです。最大多数の最大幸福。これを功利主義というようです。

他方、分岐器を動かさずに5人を犠牲にすると答える人もいるでしょう。伝統的にはカントからくる義務論というのがこの立場とされています。人を殺すことは絶対的にいけないことであって、どんな理由や条件があってもいけないものはいけない。自分の意志で人を殺すことは絶対的に許されないと考えるならば、「5人を救うため」という理由さえも「1人を殺す」ことを正当化しない。こう考えることを義務論というようです。

この功利主義と義務論との対立軸がトロッコ問題の基本形。これだけでも色々と考えることができますが、派生しても色々と考えることができます。

功利主義的な考えでは、あなたが何もしなければ無事だったはずの1人を積極的に殺す選択をしているわけです。そこで例えば、自分の近くには体の大きなファットマンがいて、ファットマンはトロッコの暴走に気づいていません。あなたがその気になってファットマンを線路上に蹴落とせばファットマンは轢かれて死ぬが、その巨体に引っかかってトロッコの暴走は止まるでしょう。上の問題において功利主義的な選択をしたあなたは、ここでもファットマンを線路に蹴落とす選択ができるでしょうか。蹴落とすなら、一貫して合理性のある功利主義的な立場をとっているということができます。蹴落とさないなら矛盾します。5人を助けるために1人を殺す選択をするのが、あなたの選択ではなかったのか?

あるいは、もう少し、具体的に、自分の問題として考えてみましょう。あなたは、たまたまここを通りかかって分岐器の近くにいるだけの人でした。このまま5人が死んでもあなたには何の責任もありません。それでもあなたは、分岐器を操作するでしょうか。何の責任もないのに?実際には、気付かなかった振りをして通り過ぎる人もたくさんいるのではないでしょうか。

通りがかっただけの人というのが極端だったとすれば、分岐器を操作するのがあなたの仕事であるとしましょう。定められた時間に、定められたように分岐器を操作するのがあなたの仕事です。そんな折、暴走トロッコがやってきます。線路上にはまだ作業中の人がいます。あなたの判断で5人か1人のいずれかが助かりまたは死ぬという場面ですが、トロッコが暴走しているのはあなたのせいではありません。整備不良によりトロッコが暴走しているのなら整備工が見落としたせいだし、トロッコの運転手が居眠りをしているなら運転手のせいだし、その居眠りが運転手に休みを与えずに1週間働かせ続けているマネージャーのせいならそのマネージャーのせいだ。少なくともあなたのせいではない。しかしここで分岐器を操作して1人が死ねば、その1人が死んだのは少なからずあなたのせいだ。あなたが分岐器を操作しなけば、その1人は死ななかった。それでもあなたは分岐器のレバーを引くか?

あるいは、こんな前提条件がつくとどうでしょうか。
線路上で作業している5人は胸糞悪い卑劣な犯罪者で、分岐先の1人は善良な一般市民だったとしたら?
線路上で作業している5人は善良な一般市民だが、分岐先の1人はあなたの大切な友人だったとしたら?

…というトロッコ問題を、こう答えるとリバタリアン的、コミュニタリアニズム的、ケイパビリティ的、、、などと合理性を生むように考えてみると、社会科学的にものを考える訓練になりそう。また、登場する作業中の5人、分岐先の1人、分岐器、トロッコ、あなた、などを創作保護法としての知財法に置き換え、創作者、その他の公衆、創作物、法律、裁判所、立法者、行政、などをかわるがわる当てはめてみれば、ソフトウェア特許の制度が如何にあるべきかについてのヒントが得られたり得られなかったりするかもしれない。

知財制度というのも、抽象化すれば1人の利益とその他大勢とのどっちをとるか問題として考えることもできますからね。発明者に独占権を与えるのは他の大勢の人にとって自由に発明を実施する権利を制限することだし、著作者に独占権を認めるのは他の大勢の人にとって表現の自由に対する制限なのだから。