読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

It's Not About the IP

- IP(Intellectual Property), Computer Technology, Ocean Life, Triathlon, and more

ジョジョは3部で終わっている

ジョジョ

突然ですが、ジョジョ論です。

ジョジョの奇妙な冒険 (1) (ジャンプ・コミックス)

ジョジョの奇妙な冒険 (1) (ジャンプ・コミックス)

私がインターネットを仕事以外にも毎日ウロウロするようになったのは『ウェブ進化論』以降なので最近まで知らなかったのですけれど、ネット上にはジョジョファンがたくさんいるようで、いろいろなところで話題になったりネタになったりしている。
なにをかくそう私もジョジョが好きだ。諸君、私はジョジョが好きだ。ジョジョと共に思春期を過ごした。というわけでジョジョ的な何かをかいてみたいなーと思ったので「私とジョジョ」をかいてみる。
私はジョジョを愛している。
愛しているからこそ、ジョジョは3部で終わったと思っている。

はまりだした頃

ちなみに私は現在すぐそこに三十路が見えている20代末期。そんな私も20年くらい前の精通前の小学校低学年のとき、ドラゴンボールとかキン肉マンとかが目当てでジャンプを読んでいて、ジョジョは既に連載されてはいたと思うけれど読んでいなかった。その頃の私にはジョジョは絵がなんかゴミゴミしてみえたし、血管がでたり内臓がでたりしててグロくて、私は当時、『北斗の拳』とかもひでぶとかあべしとか怖くてテレビでやっていても目を伏せてしまうようなカワイイ子供でした。

それでいつ頃からジョジョにはまりだしたのか覚えてないんだけど、多分小学校3、4年生くらいのときに2部で柱登って修行するあたりのときにはオモロイと思って読んでいたと思う。私はマンガが大好きで小学校の4年生くらいから学校のマンガクラブというのに所属していて、マンガクラブといってもオリジナルのマンガをかいたりするわけではなくて、大体がなんか好きなマンガの絵を描いてたまに校内に貼り出して発表したりする活動をしていた。そして他の人がかいたドラゴンボールの悟空とかの絵の中に、いま思い出してもかなりハイクオリティなワムウの模写が貼り出されていたのはけっこう浮いていたと思う。 

力よりも、知恵と機転でピンチを切り抜ける

小学校高学年くらいからだんだん思春期を迎えて、ジャンプのマンガなんてただの戦闘マンガばっかりじゃーんとか生意気なことを思い出し、背伸びしてビッグコミックオリジナルとかに手を出して私は自我に目覚めつつあったのだけれど、それでもやっぱり小学生の私にはジャンプは身近にあって、その頃にジョジョがなんとなくスッと入ってきてエグられたんだと思う。読みやすく見やすくわかりやすいマンガよりも、戦闘マンガの中で「ロマンホラー」、「人間賛歌」を銘打ち、『ジョジョの奇妙な冒険』なんてタイトルからして垢抜けてもキャッチーでもないマンガの方になんとなく真実があるような気がして、2部に突入していたジョジョの主人公のジョセフ・ジョースターは、力や超能力で相手をやっつけるのではなくて、力よりも知恵と機転で逃げるようにやっつける人で、そういうのを格好良いと思ったのでした。

「役に立つ」文学・ジョジョ

この頃から、マンガを読んだり本を読んだりすることが段々と自覚的になってきて、オモロイなかにも読みながら何かを学びたいとか、これは何が言いたいんだろうとか、異文化に触れたいとか、そういうエロイことを考えながら本を読むということをしだしていた。ジョジョの舞台は1部は1900年頃のイギリス、2部は1940年頃のアメリカ〜ヨーロッパで、学校でラグビーをやっていたり郊外にスラムがあったり、ナチスがでてきたり、あとまあその時代、地域、身分とか衣装とかそういうのも含めて、まだまだ小学生の私にはそういう舞台設定から描かれている細かいことが真新しくて、異文化みたいなものに触れられるような気がするのもジョジョがエキサイティングだった理由のひとつだと思う。

その頃私が読んでいた他の少年マンガと比べて、ジョジョにはそういうリアルな異文化感というのが確かにあって、例えば、2部のエピソードで、子供の頃のジョセフが乗ってる飛行機がハイジャックされるシーンがあるのだけど、そこでジョセフが読んでいるマンガが英語だったりするのがなんかすごく良かった。

へえ、SUPERMANて映画かと思ってたけどそんな昔からアメリカの子供が読んでいるマンガだったんだなあ*1、とか思ったりして、私はジョジョを通してそういう異文化のカルチャーを学んだりしていたつもりだったのでした。

あと、「暴力」と「セックス」が芸術・文学の重要なキーワードがあることにはいまでは疑いがないけれど、そういうことも今思えばジョジョから学んでいったような気がしなくもない。1部では主要人物の体が半分に千切れて死んでいくけっこう衝撃なシーンがあるのだけど、当時の私にはあれはちょっとしたグロ画像だったし、ディオがジョナサンの恋人に強引にズキュウウウウン!とキスをしたりするのは小学生の私にはレイプシーンのような衝撃だったのです。

黒人の手の平は白っぽいということを知ったのもジョジョでしたし*2、たまにごっちゃになっていた、太陽が昇ってくる方角は東であることを間違えないようになったのもジョジョのおかげでした*3

リアルな設定の一貫性に対するこだわりみたいなものはけっこう感じていて、ちょっとした設定ミスがあったときに単行本で作者がいきなり「おとなはウソつきではありません。まちがいをするだけなのです」とか弁解をしだしてなんのこっちゃかよくわからなかったんだけど、まあそういう細かい設定の一貫性へのこだわりみたいなものを子供ながらに感じて、そういうのイイな、と思ったりしたのでした。

そんなわけで、小学校高学年の頃にはもうすっかりはまっていた。バオー*4、B.T*5、ゴージャスアイリン*6とかもこの頃読んだ。息を10分間吸い込んで10分間吐き続ける練習とかを真面目に試みたことが何度もあった。

そしてワクワクしながら読んでいたジョジョの2部が終了を迎える。そこになんてかいてあったかコミックには載っていないので正確には覚えていないしわからないのだけど、2部の最後は飛行機が飛び立つシーンで、ジャンプではそこの余白に編集部からの宣伝文みたいのが入っていて、「次回から3部開始!時代は現代!舞台は、日本!」とかそんなことがかいてあってチョウどきどきした。ジョジョといえば「昔の外国の話」だったのだけれど、1部は1900年頃のイギリス、2部はその孫が主人公の1940年頃のアメリカ、とくれば確かにその孫は現代になるし、ジョジョが、現代の日本にやってくるのかー!と、すごくワクワクしたのです。

そしてブレイクの3部

で、3部が始まって私も中学生になって思春期を迎えてもやっぱりジョジョは好きで、この頃はもう『火の鳥』や『ブッダ』も既に愛読書だったはずで、もうビッグコミックオリジナルはナチュラルに毎号よんでいたし、いわゆる三島由紀夫とか夏目漱石とかの純文学みたいのとかもフツウに楽しく読んでいて、この頃には今の私が本を読むのとあんまり変わんない感性で本を読むようになっていたと思う。いまかきながら思ったんですけど、思春期前後で本の読み方って全然違いますよね、やっぱり。小学生の頃に本読みながら何考えてたかってあんまり思い出せないから、多分なんにも考えてなかったんだろうなー。でもジョジョは、思春期を跨いで本の読み方が変わってもスキでありつづけている少年マンガだったのです。

3部からはスタンドといわれる新しい能力の話がでてきて、これはこれでスゴク面白かったし、その後の色んなものにかなり影響を与えていた概念だと思う。マトリックス観たときには「スタンドじゃん!」と思ったしね。
マンガを芸術に高めたのは手塚治虫だと思うけど、ジョジョも文学であると思っていて、学校のテストとかにジョジョを使うべきだと私はけっこうマジに思っていた。例えば審判(ジャッジメント)の↓このシーンはすごく文学的で、テストにだすべきだと思った。

問題:(a)のコマに表現されている、ポルナレフの気持ちを百文字以内で述べよ。

このコマはなんというか、すごくスキで、百文字以内でいうと、
「殺されたはずの妹が目の前に現れ、本人でないと知らないはずの出来事を妹が話したことでそれが本人であることを確信し嬉しさを感じると同時に、そのような些細な出来事を長い間気にしている妹を愛しく感じている。」(99文字)とかになるでしょうか。

そしてジョジョは相変わらず役に立つ・ウソをつかないマンガで、正義(ジャスティス)のときに宿帳の記帳がキーとなるシーンがあるんだけど、これがその宿帳。

このときの舞台はパキスタンだから、当然、英語です。また、花京院典明(かきょういんのりあき)という人物がいるんだけど、宿帳には、「テンメイ カキョウイン」と、音読みで書かれてます。芸が細かいです。こういう細かいところに私はシビれていたのです。

あと、すごく印象に残っているのは女教皇(ハイプリエステス)のこのシーンです。

これもジャンプで読んだのですけど、それまでちっちゃかったハイプリエステスのスタンドが、ページを開いたらページ1面に亘ってドカンとでていたのです。このページを開いたときの衝撃はいまでもトラウマになってるくらいに衝撃でした。後に単行本でみたときには、ジャンプより全然ちっちゃいですから、あの衝撃は失われていました。このシーンはA4で体験するべきです。という体験があったから、マンガはやっぱり基本的にでかい紙で見たほうが良い、と思うようになり、最近よくある文庫本サイズのマンガ全般を私が今でもなんとなくスキになれないのは、このときの衝撃があまりにも強かったからだと思います。

3部がリアルタイムでやっていた中学生の頃、1部〜2部もなめるように何度も何度も読み返したものです。

一方、疑いを感じ始める

しかしながら、ジャンプの後ろの方に載っていたジョジョが前の方にくるにつれて、「ロマンホラー」だったジョジョが、「ただの戦闘マンガ」になっていく予感を感じ始めました。そんな雰囲気をただの雰囲気以上に感じたのは、コミックに収録されるときの各回のタイトルが、それまでは各回毎に「慈愛の女神像」とか「鮮赤のシャボン」とかイケてるタイトルがついていたのに、画一的に「(でてくるスタンド名)その(N)」とかになったことでした。「死神13(デスサーティーン) その1」とかです。各回のタイトルではもはや、内容がどうのよりも誰と闘っているかということがアピールされだしたのです。

それでもまあしばらくはオモロくて楽しみに読んでいたのですけれど、タロットカードに沿ってでてきていた敵スタンドは、タロットが残り少なくなってきてそろそろ残りは大ボスのみとなってくると、突然「エジプト9栄神」というのがでてきて、大ボスまでの敵が9人分増えてクライマックスが延命されたのでした。このとき私はジョジョ3部をもっとたくさん読めることを嬉しく感じた反面、ドラゴンボール天下一武道会でピッコロと闘って終わりそうだったのに終わらなくてグズグズになっていったのと同様、なんかアヤシイ大人の事情みたいなものを感じてしまったのです。

そしてジョジョに対する疑いが確信に変わったのは、ヴァニラ・アイスのこのシーンです。

舞台はエジプト、このラクガキをしたのは日本語なんて全然しらなそうな人です。しかもこのラクガキは壁に彫ってありますから、マンガ的なマジックで翻訳されてみえるという解釈はききません。私はすごく裏切られた気持ちになったのでした。このシーンの後に始まるヴァニラ・アイスVSポルナレフ&イギーの戦いはけっこう感動的だったのですけれど、この日本語のラクガキで私はトーンダウンしてしまっていたので、ちょっと複雑な気持ちでした。この戦いは巷では後にワムウVSシーザーに匹敵する名シーンとして評価されることになるのだけれど、そんなわけで、私にとっては
「ワムウVSシーザー」>>「ヴァニラ・アイスVSポルナレフ&イギー」
だったりします。

その後のディオとの戦いも、花京院のアレとか承太郎が時を止めてみたりとかアツかったけど、ディオをやっつける最後のシーンの頃には、そんくらい一部のディオだったら「ンンー」とかいいながら復活したよなあ、とか斜に構えてみるようになってしまっていたのでした。

そして、4部

そしてジョジョは3部が完結し、4部に突入。もう疑心暗鬼になっていた私は、4部の舞台が当然のように日本であることが既に気に入りませんでした。40年後じゃないこともなんとなく違和感を感じました。そして私がジョジョのストーリを追わなくなる決定的なきっかけとなったのは、コイツの登場です。

バッド・カンパニー。「スタンドは一人一体」は絶対のルールのはずだったのです。でも複数でてきちゃったのです。もうこんなのはジョジョじゃねえと思いました。一個一個がちっこいからいいとゆーのでしょうか。そんなこといったら思い出すのは恋人(ラヴァーズ)のこのシーンです。

スタンドは、精神力の具現化だから、小さくしたりするのはコントロールできるというはずなのです。だったら、「バッド・カンパニー」の一体一体を人と同じくらいに大きくすることだってできても良さそうなモンですし、ハイエロファント・グリーンが戦隊組んだりとかしたって良さそうなもんなのです。やっぱり、おとなはウソつきだ!

ありがとうジョジョ

というわけで、なにか劇的なことが無い限り、私は今後も「ジョジョは3部で終わっている」論を唱えていくでしょう。

しかし、私はジョジョを愛しています。資本主義的な大人の事情でそうならなければならなかったことも今なら分かります。ジョジョをDISるつもりはありません。ジョジョは素晴らしくオモロいマンガです。

それはジョジョと共にすごした思春期を振り返ってセンチになっているからではありません。私にとって素晴らしいマンガこそ真理・・・芸術こそ友であり尊敬する者!私はこのマンガのことを永遠に記憶のかたすみにとどめておくであろう、ジョジョ

そうさ、ジョジョ、3部までの感動は感動で別、4部以降は4部以降で別・・・・。このエントリは、あんたへの「敬意」なんだ。

*1:いまちっと調べてみたら、スーパーマンのコミックは1938年にでていたみたい。あってますね。
→ 追記:いや、あってませんね。ちゃんとみたら、ニューヨークでジョセフの話が始まる年が1938年という設定。だから、そのジョセフの数年前のエピソードは1938年よりも数年前。まあ、別にいいやね。

*2:2部のスモーキー・ブラウンで

*3:3部で太陽(サン)のスタンドがいて、どっちかわかんなくなったときにはこのシーンを思い出し、こいつが太陽を西から昇らせたらみんなびっくりしていたので、西から昇るのはおかしい、だから東が正しい、と、間違えないようになったのです

*4:

バオー来訪者 1 (ジャンプコミックス)

バオー来訪者 1 (ジャンプコミックス)

*5:

魔少年ビーティー (少年ジャンプコミックス)

魔少年ビーティー (少年ジャンプコミックス)

*6:

ゴージャスアイリン (ジャンプスーパーコミックス)

ゴージャスアイリン (ジャンプスーパーコミックス)