It's Not About the IP

- IP(Intellectual Property), Computer Technology, Ocean Life, Triathlon, and more

ソフビ特許問題について思ったことを、知財村から

ソフビ特許問題というのが起きていて、ちょっと調べてみたらとても興味深かったので調べた範囲で思ったことを書いておきます。 ちなみに私は特許の世界でご飯を食べているものの、特許というのは分野で専門が分かれていて(電気/機械/化学とか)、私はソフトウェアの分野のことしか知らないので今回のようなソフビの世界のことには素人です。

この件、色んな人が色んな立場から色んなことをいっていて、知財騒動でよくある誤解に誤解が重なって紐解けばわりとシンプルという類のものかと思ったらそうでもなく、誰も悪くない不幸な事故で、新しい問題を提起している気がしてきました。

ソフビ特許問題とは何か

「ソフビ」という単語を今回の騒動で知りましたが、ウルトラマンとか仮面ライダーとかのソフトビニール人形が発展して、個人の楽しみで作ったり売買したりする世界があるようです。そこでは個人の工夫で色んな仕掛けが生み出されていて、そんな中のひとつの工夫を個人が特許出願して特許になったものの、その工夫は当業者には知られたことだと話題になり、結局は特許権者が特許を放棄することを宣言した(イマココ)という話のようです。

話題の工夫はこれです。特許権者ご本人が解説動画を出されています。ソフビ人形の空洞の中に固定されずに移動する小さな磁石が入っていて、何らかの小道具を外から自由な位置にくっつけて遊べるというアイデアです。

出願人・代理人の視点から

なるほど、面白い!と思いますよね。私は思いました。初めてみた気がしますし、これは先行事例がないなら特許で良いんじゃないの、と思いました。何かが特許になったときに、当業者の方からこんなの前からあるのに、といわれるのはよくあることですし、しかしよくよく考えてみれば特許されているコア部分については確かに以前にはありませんでしたよね、というのもよくある話です。その類の話かな、と最初は思いました。

許可請求項はこうです。

【請求項1】
 内部が空洞の本体と、
 少なくとも一部が磁石に吸着される材質で構成されている吸着片と、を備え、
 前記本体は、
 樹脂材料を成形して構成された外殻を有し、内部に密閉された空間を形成し、
 前記外殻は、
 少なくとも2つの部分を組み合わせて所定のキャラクターの外観を構成し、
 前記吸着片は、
 前記外観が完成した状態において、前記密閉された空間の少なくとも一部分を自由に動きうるように配置された、キャラクター人形。

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-7336810/D3D6259FC31FB3477C652B8E27C3819EE32AFF821DD9D56FE22809F0ADDCF8F0/15/ja

「少なくとも2つの部分を組み合わせて所定のキャラクターの外観を構成」という限定の必要性はちょっと謎な気もしますが、良い感じに作りこまれている上手い請求項なんじゃないでしょうか。審査過程で一度、進歩性の拒絶理由通知を受けて補正して特許になっていますが、意見書をみてもパッと見では禁反言を突っ込みたくなるような箇所もありません。

特許庁(審査官)の視点から

特許庁の審査過程でそのものスバリの先行文献は見つけられなかったようで、拒絶理由通知には参考文献として特許文献10件が記録されていて、そのうちの2件を引用文献として進歩性の拒絶理由通知が打たれています。

引例1はこれです。

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-6783746/30A0E4C9417CD01E54AD9ACEC5B4E613E4F6B84F1B29F8306EB1519314AA173A/15/ja

内部が空洞になっているソフビ人形の内部に磁石をいれておき、外付け部品を磁石でくっつけることで、接着剤などの跡が残らないように着脱できるというアイデアです。似てますね。ちなみにこれはこれでしっかり権利化されて存続しているので、こっちの心配もした方が良いのかもしれないですね、わかんないですけど。

この引用文献では内部の磁石が固定されていることに対し、本件特許は内部に磁石が固定されずに自由に移動することで部品の設置位置を移動させることができるから違う、と主張して、その差異が認められて特許になっています。

当業者の視点から

この特許が話題になったことを受け、当業者の方からは、こういうのけっこう前からやってるよー、という声が上がって、こんな記事がでました。ふむふむ。

minimono.net

国産の強力なネオジウム
4mm×2mmをライフル側面に合うように調整したハンドパーツに埋め込むとガッツリ保持
ライフルのネオジウムを固定せずに
中を自由に動けるようにすると
ライフルのどこでも掴む事が出来る

おお、、、ま、まんまですねw このポストが2022/10/21。本件特許の出願日は2022/12/18なので、引例適格性もあります。これで少なくとも請求項1は無効になりそうです。

こ、これも、、、同じですねw 2016年!けっこう前ですね。上記権利化されてる引例1の出願日2017/12/25よりも前なので、これひょっとしてその無効理由にもなりうくぁwせdrftgyふじこ

特許審査において参照すべき先行文献は世界中の全ての言語の全ての公開情報ですが、現実的に調べ尽くすのは無理なので、特許情報が中心になります。最近では特許の引例でブログやツイッターのポストをひかれることもそれなりにありますが、まあ審査官がこれらをみつけられなかったのを責めるのも酷な気がします。

帰結

という経緯を受け、特許権者が権利を放棄する旨の意向を出しました。

何が問題だったのか

この幕引きは、特許側の視点からすると、あまり気持ちの良いものではないです。無効理由がある特許は無効になるべきです。あえて無効にしなくても無効理由がある以上、権利行使できないことは特許法にも織り込み済みです(無効理由の抗弁・特許法第104の3第1項)。そして請求項1は無効になるべきだとしても、他のポイントをコアにして権利が存続する可能性はあるかもしれません。ちなみに放棄したとしても権利発生日(2023.8.24)から抹消日までの権利は正しく残るので、その期間の侵害行為に対しては後からでも権利行使が可能です。

特許がとられてしまったから、もともと同じことをやっていた人もあとづけで特許侵害になってしまうのでは?という心配の声をいくつかみかけましたが、もともとやっていた人には先使用権があって実施できるというのも法に織り込み済みです(特許法第79条)。

しかしまあなにはともあれ、そんな特許があることが気持ち悪いという当業者の方の気持ちはその通りだと思いますし、個人でやってるのにお金と手間をかけて異議申立やら無効審判やらやってられないよというのもその通りだと思います。

これは特許制度の敗北の事例であるか?といえば、、、Yesなんじゃないでしょうか。

今回の件で少し前にあった ゆっくり商標騒動 を思い出した、という見解をいくつかみかけましたが、なぞらえて考える意味がないくらい違うと思います。特許は早い者勝ちですが商標はそうではないし、問題になった特許要件(新規性・進歩性)は客観的ですが、商標の登録要件は主観的(剽窃の意図があったかとか、対象が著名といえるか否かとか)だからです。

ゆっくり商標は放棄で幕を引きましたが、特許を放棄するのと商標を放棄するのは意味が違います。商標は主観的な使用意思が登録・存続要件なので使用意思がなければ登録する理由がないことに対し、特許は客観的に技術的に新しければ意思とは関係なく認められて然るべきものだからです。

特許制度や商標登録制度というのは、けっこうよく出来ているのです。

もちろん、権利化しても使えないからもってても意味ないとか、特許も維持するのにお金がかかるのでその費用払うのがもったいないとか、そういう理由で放棄するならしょうがありません。しかし、皆様に不快な思いをさせてしまったので放棄します、というのは、なんだか釈然としません。それで特許を放棄させてしまうことができるなら、良く出来た特許制度なんか必要ないじゃんということになってしまい、建設的な議論にならないからです。

しかしこういった、特許になったものが当業者には前からやっていたことだったよ、という話は、ソフトウェアの世界では以前からよくされている議論でした。ソフトウェア技術というのは当然ながらインターネットと親和性が高く、またオープンソースとかがあって、特許制度を待たずして技術が公開されているのが当たり前の世界だったからです。蓄積された特許情報の外に現れた広大なインターネットを調べまくれば何らかの先行文献はみつかる、というのがソフトウェア分野の特許でした。逆に情報が多すぎてみつけらないくらいです。

でも今回のはソフビです。そしてみつけるべきだった先行文献は、ツイッターのポストでした。ここまで広がったツイッターは、ソフトウェア分野以外でも特許の引例となりうる情報の宝庫である、ということが証明されました。これはなかなか小気味よいです。特許制度を待たずとも技術が公開される分野はどんどん広がってきています。

そもそも特許制度というのは、みんなが使えるパブリック・ドメインの技術を増やすための仕組みです。特許制度は技術を国に公開する代償として独占権を与えますが、一定期間経過した後は誰でも使えるようにしてみんなで使いましょうという話です。そんな独占権を与えずとも技術が公開される世界で、特許制度が果たす役割は何なのでしょうか。何の役に立つかわからないけど既にあるしやめるわけにもいかないから、なんとなくできるだけ害の出ないように、 muddling through する(なんとかやり過ごす)、ことしかできないのでしょうか。

「プロ・イノヴェイションのための特許制度のmuddling through(1)」田村善之/ 知的財産法政策学研究35号27~50頁(2011年)

オマケ

「内部に入ってるのが磁石じゃなければ本件特許を回避できるのでは」という意見があるようですが、請求項の文言上、内部に入っているのは「磁石に吸着される材質で構成されている吸着片」であって、吸着される側の金属片も含みますので、それでは回避できません。ただし、上述したように、そもそも無効理由があることがわかっているなら、その範囲内で実施するぶんには、もし権利行使されても正当に抗弁することができるので、回避する必要はありません。