It's Not About the IP

- IP(Intellectual Property), Computer Technology, Ocean Life, Triathlon, and more

ランニング本の感想など

5年くらい前に初めてフルマラソン走ってから、なんとなくノリと勢いで走ってますけど、ここにきてなんだか走るの面白くてしょうがねえなって思うようになってきました。というわけで、ランニング本たちの感想などを、記録として。
 
メキシコの秘境で走り続ける民族・ララムリ(タラウマラ族)を命懸けで追ったドキュメンタリー。現在のイカれたランナーは大体読んでるマスターピース人間の体はそもそも走るようにできており、走ることは人間の根源的な欲求であり喜びである、ということを異常な説得力で感じることができます。
BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

 
 
  • 『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹
日本で最も売れている小説家、みんな大好き村上春樹はけっこうハードなマラソンランナーなわけですが、そんな村上春樹が走ることについて語るエッセイ。わりと人格者として語られることの多い村上春樹ですが、フルマラソンを走ってると30kくらいから周りの全てのことに腹が立ってくる、みたいなことを書いていて、あーわかるわかるwと思いました。
走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

  • アルプスを越えろ! 激走100マイル』鏑木毅
いやー、こないだのUTMF、すごかったですね。まさかのララムリ登場、そして棄権。事前の噂では今年はコースがちょっと緩めと囁かれておきながら、雨により一転して泥濘地獄、そもそもがそうとう脚に自信のある人しかエントリしてないはずなところの完走率40%、しかし大きな事故なし。国内最高峰レースとしての威厳と格が増したというところでしょうか。そんなUTMFの実行委員長であり、日本トレイルラン界で若干宗教的なほどの崇拝を受けている「鏑木さん」の自伝。恵まれた資質があるわけでも天才でもないが、まさに走れるときは走り、走れないときは歩き、歩けないときは這ってでも前に進むというロングランニングのような挫折と努力と前進の半生、UTMBを走った後に「日本でも100マイルレースを」とUTMFの開催に奔走するアツいドラマを垣間見ることができます。
アルプスを越えろ!  激走100マイル―― 世界一過酷なトレイルラン

アルプスを越えろ! 激走100マイル―― 世界一過酷なトレイルラン

 

 

  • 『マラソンランナー』後藤正治
ノンフィクション作家・後藤正治による日本マラソンランナー列伝。1912年のストックホルムで日本人として初めてオリンピックに出場した日本人2人のうちの1人、金栗四三から始まり、孫基禎田中茂樹、君原健二瀬古利彦谷口浩美有森裕子高橋尚子までの各時代を象徴するマラソンランナーたちの栄光。そして全編通して影の主役のように語られる、1964年の東京オリンピックで日本のために走り、若くして自害した、三島由紀夫の小説のような円谷幸吉の悲運。日本マラソン界の歴史に重みと尊敬を感じます。
マラソンランナー (文春新書)

マラソンランナー (文春新書)

 

 

  • 『EAT & RUN』スコット・ジュレク
完全菜食主義者(ヴィーガン)にして、ウエスタンステイツ(160kmトレイル)7連覇、スパルタスロン(246km)3連覇、バッドウォーターウルトラマラソン(217km)2連覇などの偉業を成し、生きる伝説となった偉大なカリスマランナー、スコット・ジュレクの自伝エッセイ。ヴィーガン料理のレシピなんかもちょこちょこ入っていて美味しそうです。なんというか、サーフィンにおけるジェリーロペスのような、ダイビングにおけるジャックマイヨールのような 、聖人がかったような仙人がかったようなオーラを感じます。そういえばトライアスロン初期の1980年代にアイアンマンレースを6連覇したデイブ・スコットもヴィーガンだったらしいですね。影響されそうな予感…
EAT&RUN

EAT&RUN

 

 

なんだかやたらと筋肉をみせつける半裸写真を披露していて、アメリカの女性誌で「スポーツ界で最もセクシーな男性」の1人として選ばれたりしているらしいスーパースター。サーフィンもやるみたいですね。フルマラソン42.195kmの距離を超えるウルトラマラソンと呼ばれるジャンルのレースを徹夜で走り続ける変態ランナーの狂った告白に若干ひきながらも、徹夜で走るのも悪くないかも・・・と思ってしまいます。
ちなみに、『BORN TO RUN』では、スコットジュレクが英雄として語られていることに対し、ディーンカーナゼスはコマーシャリズムに魂を売ったセルアウト野郎として、なんかそんなに恨みでもあんのって感じに語られます。
ウルトラマラソン マン

ウルトラマラソン マン

 

 

  • 『Run or Die』 キリアン・ジョルネ 
比較的年齢を重ねた人が活躍するトレラン界において、世界最高峰レースであるUTMBに若干21歳で優勝して二連覇したスペインの新星。山岳スキーやマウンテンバイクの選手としても活動するガチの山ヤ。この人はfacebookでわりと頻繁に情報発信していて、雪山の尾根を走ったりするGoProの映像とかをバンバン流してくるんですが、やばいですね。みてるだけでヒヤヒヤします。

https://www.facebook.com/kilianjornet

Run or Die

Run or Die

 

(日本語版はRUNNETからのみ) 

runnet.jp

 

  • 『非常識マラソンメソッド ヘビースモーカーの元キャバ嬢がたった9カ月で3時間13分!』岩本能史
皇居ランの爆発的ブームの火付け役の一端を担ったといわれる、一般市民ランナーのバイブル。私もランニング始めて最初に読んだのがこれでした。
「体幹ランニング」を提唱する金哲彦の教則本。わりとかっちり、「ランニングとは、フォームとはこうあるべき」みたいなことをいう人です。
金哲彦のランニング・メソッド

金哲彦のランニング・メソッド

 

 

  • 『マラソンは毎日走っても完走できない 「ゆっくり」「速く」「長く」で目指す42.195キロ』小出義雄
有森裕子高橋尚子などを五輪メダリストに導いた小出監督教則本。「ランニングこうあるべき」という感じではなく、走り方は人それぞれだし、気持ち良く走っていれば自然と走り方は身についてくる、みたいなことをいう人。私も走り方についてあれこれ悩みだしたときがあったんですが、この本を読んで救われました。これ読んで以来、あんまり熱心にランニングメソッドの勉強とかはしなくなりましたね。

 

  • 『すべてのマラソンランナーに伝えたいこと』瀬古利彦

世界最強と謳われながらオリンピック恵まれなかった無冠の帝王としてマラソン史名を残す世界のセコのマラソン哲学。半端ないストイックっぷりで、普通の市民ランナはあんまり参考ならないスーパーエリート伝説がてんこもり

 伝説1. 高校時代に800mと1500mとの2種目で二年連続インターハイ優勝
 伝説2. マラソンシューズは大学生の頃からメーカーに特注品を作ってもらっていたがシューズに対するこだわりはなく、市販のものでレースを走ったこともあるくらいだ
 伝説3. レースが終わるとシューズは人にあげてしまっていた
 伝説4. 初めて走ったマラソンでは30kまでの練習しかしていなかったので2時間26分もかかってしまった
 伝説5. ある程度のレベルまでくると時計がなくてもだいたいのペースはわかるもので、訓練すれば400mを1秒も狂わず走ることができるし、0.5秒ずつ調整して走ることもできる
 伝説6. 40kのタイムトライアルを一度も給水せずに行ったりしていたがたまにはそういう無茶も必要
 伝説7. 気力が抜けてしまうので男女交際も性行為も禁止。脳や神経が疲れるのでヘッドホンで音楽を聴くのもコンピュータゲームも車の運転も自転車も禁止。自転車でいける距離なら走れば良い
 伝説8. レース10日前から食事の量を減らし、レース前は腹が減っていてまさにハングリーな状態。その方が感覚が研ぎ澄まされ、集中力が増す
 伝説9. 心酔する監督、中村清は選手に向かって、「君達はこの土を食べれば世界一になれるといわれたら食べることができるか。私はできる」といって土をじゃりじゃりと食べ始めた
 伝説10. 箱根駅伝でタスキをつないだ後にバタンと倒れる選手がいるが、頑張ったことをアピールしたくてあんなポーズをとっているのかなと疑ってしまう。私はマラソンで勝ち、ゴールした後でも常に4,5kは走れる余力を残していた。倒れるくらいならもっと練習しなさい。
 伝説11. 解説の仕事は楽しい。移動中継車は選手の真正面の位置を走るので、選手に向き合う特等席でマラソンを見られる。しかし、苦労もある。トイレの問題だ。マラソンは2時間程度だから我慢できるが、箱根駅伝は6時間くらいかかる。私は前日の20時以降は水分を控え、万が一の場合に備えて紙おむつをして解説席に座る。
 
ひとつも真似できる気がしませんw
すべてのマラソンランナーに伝えたいこと

すべてのマラソンランナーに伝えたいこと

 

 

「アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン」完走しました

アイアンマンレースとは

アイアンマンレースというのは鉄人を想起する過酷なレースの一般名称のようにも思いますが、その世界では特定ブランドのトライアスロンレースの固有名称で、商標登録もされています。けっこうしっかり商標管理されてるみたいです。

トライアスロンはキツイですが、いわゆるオリンピックディスタンスと言われているメジャーな距離はそんなに長くなくて、スイム1.5k、バイク40km、ラン10kのトータル51.5kです。オーディー(OD:Olympic Distance)とかゴーイチゴとか言ったりします。だいたい2〜3時間くらいで終わります。これに対し、アイアンマンを冠したトライアスロンレースはスイム3.8k、バイク180k、ラン42.195kでトータル10時間〜16時間くらいかかる変態レースです。で、これがちょっと長すぎて開催する側も参加する側も敷居が高いからなのか、これの半分の距離、スイム1.9km、バイク90.1km、ラン21.1kmでトータル113.1km≒70.3mileのレースが、アイアンマン70.3としてアイアンマンブランドで行われています。フルアイアンマンの半分ですが、それでもオリンピックディスタンスの倍以上ですね。というわけで今回はこの、アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパンに参加してきたので記録しておきます。

前日

開催地は愛知の知多半島で、前日説明会に出なきゃいけないので神奈川県民が参加するには前泊必須です。家族旅行にこじつけて行ったら良いんじゃないかと思ったんですけど、妻子にフラれたので今回は一人旅です。寂しいとも思ったんですが、いざ一人旅となったら眠っていたバックパッカーの魂がフツフツと蘇ってきて、荷物配達なし、宿予約なし、鉄道切符のみのバックパック輪行スタイルでいくことにしました。

バックパックは60リットルです。よく売られているトライアスロン用のバックパックはだいたい30リットルかもうちょっとくらいで、トライアスロン道具だけ入れるならそれでも充分なんでしょうが、その他の泊まりに必要な日常用品とかまでオールインワンで持ち運ぶには心もとないですね。60リットルあれば充分でした。背負ってしまえば多少のバイク移動もできます。

名古屋だがや

中部国際空港セントレアに着いて前日説明会。空港内のイベントスペースのようなところでアイアンマンエクスポという大会グッズを売ったりしているところがあって、散財するのもやぶさかでないと思って現金もって楽しみに行ったんですが、思ったようなものはなくて結局なにも買わなかったですね。キッズTシャツあったら同じ柄のを妻子に買って帰ろうかなとか、なんだかんだいってMドットのバックパックの現物みて良さそうだったら買っちゃおうかなとか、アイアンマン印のトライスーツあったら欲しいなとか思ってたんですけど、なかったですね。残念。

中部国際空港で選手登録その他の手続を終えて、バイクチェックイン用の選手用無料シャトルバスでスタート地点の新舞子に移動。

いやー湘南の黒砂ビーチも好きですが、やっぱり白砂のビーチって良いですね。

諸々の前日準備を完了し、夕方くらいにさー宿どーすっかなと考え始めました。名古屋まで戻っちゃえばなんとでもなりそうですが、明日は朝6:00くらいには新舞子のスタートエリアについていなければならず、名古屋だと電車動き出してから始発でも厳しそうです。とりあえず、名古屋とは逆方向の中部国際空港に戻る選手用循環シャトルバスに乗ります。シャトルバスは中部国際空港東横インを経由するようで、どうやら選手は東横インに泊まってる人が多いようです。フーンと思ってバスの中でiphoneで検索してみると…空きがあるじゃないですか、東横イン。おーこれにしちゃおっかな、と思ったんですが、そんなにスンナリ決まっちゃうのもつまんないなという謎のバックパッカー魂が邪魔をして、バスを降りるも東横インをスルー。

とりあえず電車に乗って常滑駅に向かいます。
常滑といえば、日本ヒップホップ好きにはたまらないTOKONA-Xの地元、名古屋ほどとはいかないまでもそこそこの繁華街とサグでドープな裏道…みたいなのを想像していたら、なにもない。駅おりてビックリしました。なにもない。繁華街なし。腹減ったのでちょっととりあえずラーメンでも食いたいなと思ったんですがラーメン屋なし。というか飲食店なし。駅前のガード下的なところに数件の店らしきものがありますが閉まってるし電気消えてるし人影なし。どこにでもたくましく店をだす中国人の中華料理屋もなし。コンビニやスーパーも見当たらない。
そうですか。

途方にくれて放浪していたところ、町の外れに24時間営業の漫画喫茶を発見。

今夜の宿はここで。

漫画喫茶の個室でトランジションバッグを整理します。

なんか電気がすごい明るいしJ-POP的なものの有線放送がそこそこの音量で呪いのようにずっとかかっていて寝れず、21:00ころにやっぱり大人しく東横インいっとけば良かったかな〜なんて思いながらiphoneで再度検索したら、まーもう空きにはなってないですね。そりゃそうだよね。

というわけで開き直って弱虫ペダルなど読みながら、ティッシュペーパーを耳栓として丸めて耳に突っ込んでJ-POPの呪いを低減し、体を休めます。

当日

3:00くらいに起きて、飯食ったり弱虫ペダルの続きを読んだり荷物の整理をしたり。アイアンマンレースではトランジションバッグ以外の荷物は預かってくれないので、このデカいバックパックをどこかに預けなくてはなりません。常滑駅前にコインロッカーがあるみたいなので、朝4:00過ぎくらいに漫画喫茶を出てタクシーで常滑駅へ。駅のシャッターが下りていて若干イヤな予感がしながらコインロッカーを探すと、シャッターの向こうの券売機の隣にコインロッカーが。なんでそこシャッター内なんだ…。やばい荷物どうしようかなと思いながら常滑駅の電車始発時間を調べると、5:00チョイ過ぎには始発があるようだ。だったらその前にシャッターあくんだから、それからコインロッカーに荷物預けて常滑駅前から新舞子までの選手用シャトルバスに乗ればセーフのはず。というわけで、1時間弱くらい、人のいない常滑駅でシャッターが開くのを待つ。

5:00くらいに無事にシャッターが開き、コインロッカーに荷物をいれて選手用シャトルバスへ。

いよいよきました、アイアンマンの舞台。

レース前の最終バイクチェックをします。

トランジションエリアT1はこんな感じ。

他のトライアスロンレースではバイクおくところの地面に着替えとか道具とか置きますが、アイアンマンでは個々人ですべての道具をバッグにいれてここにぶら下げておきます。トランジションエリアで物を地面に置きっ放しにしていたらペナルティ対象だといってました。

目標タイムは、こないだの51.5が2:40くらいだったので、その倍+α+βってことで、6時間くらいかなと。additionalな目標として、バイクのAv30km/h以上、ランサブ100minを心に秘めて挑みます。

スイム

スイムはあんまり頑張り過ぎると呼吸が乱れて次のバイクに影響するしバトるのも気分よくないので、トライアスロンのスイムはのんびりとアップくらいの感じでいくのが定石になりつつあります。泳ぐのはスキだし水の中にいるのがスキなんですよね。水の中にいるとなんか安心します。レースでワーワーいっててもよーいスタートで始まって水の中に入ると、水の音以外何も聞こえなくなって一気にシーンと落ち着くあの感じ、あれもたまんないですね。
というわけでスイムはバトルを避けて端っこの方をノンビリ泳ぎながら無難に完泳。

バイク

昨年始めたばかりでバイクにはまだまだニガテ意識がありますが、今年は大磯クリテリウムや箱根ヒルクライムなどのレースに参加してそれなりに経験値を貯めてきました。
ロードバイクにDHバーつけた方が良いですかねと地元のトライアスロンショップに相談したら、別にいらないんじゃないですかねと言われたのでつけてません。というか ロードバイクは、買った以来ドリンクホルダーつけたくらいで他は何もいじってません。レース中、DHバーやディスクホイールなんかをつけたお金かかってそうなTTやロードにかなり抜かれましたが、高そうなバイクを抜いた場面もけっこうあったので、やっぱり私が目指すのは高いバイクを手に入れることではなくて、しっかりエンジンを鍛えてあんまりいじってないバイクで高いバイクを抜きまくることだなと改めて思いました。
前半は30-40km/hくらいで順調にきて、30km地点くらいのところでサイコンをみるとAv32kくらい。ヨシヨシいいんじゃないのと思ってたんですが、周回コースから外に出てちょっといくと、鬼の登り。うわそういえばアップダウン激しくて獲得標高600くらいあると前日の説明会でいってたの忘れてた。このへんで一気に腰が疲れて痛くなってきて、もう楽しむどころではなく早く終わってくんないかな的な心境。腹も減ってきたので、背中のポケットにいれておいたランチパックと蒸しパンと固形エネルギー(クッキーみたいなやつ)を走りながら食べます。
なんとか進んでいくと、今回のバイクコースの目玉である南知多道路へ。南知多道路は自動車専用道路で、これを20kくらい閉鎖してバイクでワンウェイに走ります。これはスピードも出せてなかなか気持ち良いんじゃないの、と思ってたんですが、いざ行ってみると、鬼の逆風。必死でこいでもぜんぜんスピードでません。アップダウン激しいし。いったい何得。
途中で給水があって走りながらバイクボトルを受け取るのですが、これがアイアンマンロゴ入りのボトル。記念に欲しいと思ってもらって背中のポケットに入れてたんですが、いつの間にかどっかいっちゃいました。いま思えばトランジションエリアでバイクを降りて押して走り出した時に背中にユサユサを感じていたので、トランジションエリアで落としてしまったようです。残念。
結局バイクは後半でスピード落ちまくり、Av27kくらいで終了。

ラン

バイク→ランのトランジションは内海高校。高校生たちが誘導などやってくれます。ありがたい。走り出すと、ランていうかなんかトレイルみたいな道で笑える。畦道。ちょっとしたら舗装された道も出てきた、と思ったらまた田んぼの間をすりぬける砂利道。笑える。舗装道になったと思ったらまたアップダウン激しい。笑えない。しかしランはなんだかんだいってもこちとらいちおう100kウルトラフィニッシャーとしての意地もあります。バンバン抜きました。
ランのエイドは結構マメに10箇所くらいあるんですが、全エイドにレッドブルがあります。さすがアイアンマン。ほとんどのエイドでレッドブルのんで、フィニッシュ後にもレッドブルのんだので、2時間くらいの間に2リットルくらいのレッドブルのんだ。
走っていくと海がでてきて、遠くにゴール地点近くの内陸と空港をつなぐ橋がみえます。あそこがゴールかーと思いながら走っていくと、12k地点の看板。あと9kかーと思った時に感じたのは、あと9kで終わるという安心感よりも、もう終わっちゃうのかという寂しいような気持ちの方が強く、あぁ私もどうかしちゃったな、と思いました。そのまま無難に走り、ゴールがみえる直線に入ってからスパートかけて何人か抜いてゴール。
バイクAv30km/h以上とランサブ100minとのadditional目標は達成できませんでしたが、トータルタイムは6時間きったので満足です。

今度はいよいよ70.3じゃないリアルアイアンマンに挑戦したいところですが、あれって前々日の説明会から始まって3泊4日かけないと出られないみたいなんですよね。ウチはまだ子どもが小さくて、4日間つれてくのも家あけるのもちょっと難しいので、もうちょっと子どもが大きくなってからですかね。それか泊まりなしでそれぞれ日帰りでいける関東のどこかで開催してくれれば可能性ありますね。
噂では契約の関係で来年の北海道のリアルアイアンマン開催はなく、場所が変わるとか、そもそもアイアンマンJapanは無くなっちゃうんじゃないか説とかがあるみたいです。オリンピックトライアスロンを呼び込もうとしているお台場や横浜が実績作りを目論んでアイアンマン開催する、という可能性はなくもない気がするんですがどうですかね。湘南でやってくれたら近いし最高ですね、江ノ島を起点とするアイアンマンJapanなんて最高にエキサイティングだと思いますがどうですか。ダメですか。

フィクション・2015弁理士試験短答問題作成の現場から

H27弁理士試験短答問題

問[7] 枝4
飲食店の店内に置かれた「グルメの妖怪」というキャラクターが、飲食物の提供に際して、言語的要素のない一定の同じ音を発する行為は、音の商標の使用に該当する場合がある。

「今回の問題はこれでいきたいと思います」
「先生、これは…」
「なるほど、妖怪ですか」
「しかしこれは、世間に媚びていると思われるのでは?」
「いえ、やはり新しいタイプの商標の問題ですし、流行を反映したものでどうかと。どうでしょうか…?」
「私は賛成ですね」
「はい、近年の受験生数の低下、高年齢化もありますし、若い受験生にアピールする遊び心も必要と考えます」
「これが若い受験生へのアピールになりますかね…」
「インターネットのSNSや掲示板では多少なりとも話題になるでしょうね。ダンディ甲田の件も、天狗の件も、いまだに話題に上がります」
「インターネットでこの類の話題を持ち出して喜んでるのは若者ではなく主に中高年ですよ」
「しかし…」
「まあ、一見軟派なようでもありますが、音の商標の使用の定義や、音の商標における言語的要素の取扱いなど、基本的な知識と理解を問える問題であると思います」
「そうですね…。わかりました。」
「みなさんよろしいでしょうか」
「はい」
「それではこれで提出し、試験部会の最終判断を仰ぐことにしましょう」

大磯クリテリウムにいってきた(2回目)

先々月に引き続き、大磯クリテリウムにいってきました。今期はこれで終了のようで、次回は11月ですかね。ちょっと間が空くので、次回の時に今日いってみた感じを思い出せるように記録しておきます。

いやー面白いです。マラソンとかトライアスロンとかオープンウォータースイムのレースにはない緊張感があります。マラソンとかは基本的にタイムとの戦いなので自分との戦いなのに対し、クリテリウムは完全に相対的な他者との勝負。集団の中でのポジション取り、他の選手の癖や出方、脚の残り具合の観察と推測、集団から出る(出ない)タイミングの駆け引き、ここぞというときのスプリント勝負。フルマラソンとかに比べると時間の短いあっという間の勝負ですが、初心者なりに自転車レースのダイナミズムを体験させてもらいました。

集団走行セミナー(朝6:55集合、7:00-7:30)

朝イチで初心者のための集団走行セミナーというのがあって、前回は申し込みタイミングが遅れて応募者多数により参加できなかったので、今回はきっちりエントリ。20人くらい?で2列になり、コーチ(っぽい方)に引率されながらコースを回りました。走りながら先頭を交代したりしながら、レクチャーを受けます。
・コーナーのアウト→イン→アウトは危険。やめよう。というか反則(斜行)。
・曲がる前に無意識にかもしれないけどちょっとアウト側に振ってる人もいる。これもダメ。危険。気をつけよう。
・ロードバイクのレースは、マラソンとかとは違って、モーターレースに近い。周りの選手が互いに信頼し合い、ケガをしないように気をつけあわないと成立しない。
勉強になりました。コーチの方は「選手だった頃は・・・」とおっしゃっていたので元選手なんでしょうか。ジャージにマイクロソフトのロゴが書いてあったんですが、マイクロソフトって自転車チームのスポンサーとかやってるんですね。

試走(7:30-8:00)

レース前に、自由にコースを走って良い試走時間があります。前回は訳わからないまま終わってしまった感じですが、訳わからないなりに得た教訓を思い出しながら、サーっと何周か走ってコースを観察。コースはこんな感じ(公式ページより借用)。

小田原側に180°のコーナーが1つ、平塚側に90°のコーナーが2つ。走ってみた感じ、180°のコーナーでは充分に減速しないとコース外に突っ込みそうでコワイけど、90°のコーナーではそこそこの減速でやり切れそう。前回のレースの後は、「両端のコーナーで減速してからの半周ごとの勝負」なんじゃないかと思ったんだけど、どちらかというと180°のコーナーを基点とする1周ごとの勝負という感覚で良いのかも。180°のコーナー抜けた直後に試しにスプリントかけてみたら、時速45-50kmくらいまで一気に上げて、勢いに乗って力み過ぎず緩み過ぎずこいで90°のコーナーを2つ抜けてもう一度180°のコーナーに戻ってきたところで35kmくらいまでに下がっていた。私が出るピュアビギナーのクラスでは、前回の記録ではたしか上位の選手が平均時速35kmくらいの記録だった気がする。前半5周のローリングとコーナーの減速を考えても、「180°のコーナー回った直後に時速45-50kmくらいまで上げる→力み過ぎず緩み過ぎず戻ってきて35kmくらい」というサイクルを保てれば、そこそこ上位に食い込めるのではないか。

レース(9:20-)

直前のレースで落車があり、救急車が来ていたので20分押しでスタート。
前半はローリング。前回はじめて体験したが、集団でのローリング中は大して力んでないのに下り坂のようにケイデンスもスピードもけっこう上がる。・・・と思っていたんだけどたぶんここで舞い上がって余裕ぶっこいてたのが良くなかった。ローリング終了の6周目、スタート段階の団子状態の集団の中ではたぶん真ん中くらい。180°コーナーを曲がって、直前の選手に千切られないようについてく。まだ余裕ある。直前の選手に離されないように、90°のコーナーを2つ抜けて無難に戻ってくる。7周目の180°コーナー後、直前の選手に少し離される。全力でこいでサイコンをチラ見すると、アレ・・・?35kmくらいしか出てない・・・ぜんぜん45kmいかないぞ・・・すげーキツイのに!!千切られないように直前の選手だけみてたけど、気がついたらそのさらに前の先頭集団には完全に千切られてる。やばい。気がつけば心肺にキテる。ハァハァなってる。ことに気づいたら一気にゼェゼェなってきた。脚も売り切れ。力入らん。大腿筋が弾力を失ったゴムのようになってるこの感じ、これはフルマラソンで前半突っ込みすぎたときに30kmくらいから感じ始めるやつだ。この辺で心が折れる。折れるなりに頑張るけどもう脚も心肺も売り切れ。必至で踏んでるけど抜かれまくり。なんかスイマセン。ローリング中、余裕ぶっこいてる場合じゃなかった。思えばあそこでもう充分に脚は疲れていたんだきっと。そのままグズグズと最後まで。最終周では意地でそれなりに頑張ってスプリントかけるけど、ヘロヘロのままゴール。

帰り

レース終わって帰りに134号線を走っていたら、もうそれなりに脚も回復してて走れる。もう一度最後3周だけやり直させてくれと思った。そういえばフルマラソンのときも、だいたいいつも次の日くらいに「最後30kmからだけやり直させて欲しい」と思ってる気がする。

教訓

・千切られないように意識するのは直前の人ではない。先頭集団だ。先頭集団に千切られたら終わり。しがみつけ。
コーナリングでは、集団の後方ほど詰まり、コーナー抜けてから追い着くために脚を使うことになる。できるだけ集団前方にしがみつけ。
・ローリング後も残る脚を鍛える練習と、ローリング中に脚を温存する工夫を。ローリング中に舞い上がってケイデンス120で回し続けたり前にぶつかりそうになって脚を止めたりブレーキかけたりしてるのはたぶん間違ってる。ケイデンス90くらいで、脚を止めずにリラックスして回せるようにギアなりなんなり調整しろ。

その他

・競技規則、コーナー等は、回を重ねるごとに少しづつキャリブレーションして変更しているようだ。毎回しっかり確認しよう。
・前回はSPECIALIZEDのゴールアーチが(コース上じゃないけど会場内に飾りとして)あったんだけど、今回はなかった。それっぽくてカッコよかったのにな。ちょっと残念。

次期までにまた経験積んで、リベンジしたいス。ありがとうございました!

色の商標って例えばビアンキのチェレステ?

4月1日から、「新しいタイプの商標」という、「新しくなくなったらどうするんだろう」という余計な心配をしてしまう名前でよばれている商標の登録制度の運用が開始されました。巷では、久光製薬のテレビCMなどでおなじみの「ヒ・サ・ミ・ツ♪」のメロディーや、大幸薬品正露丸でおなじみの「パッパラパッパ♪」のラッパのメロディーなどが出願されたというのがチラチラ話題になっているようです。

http://mainichi.jp/select/news/20150408k0000m020086000c.html

音の商標もそうですが、色の商標というのも認められるようになりました。

玩具大手「タカラトミー」は列車を走らせて遊ぶおもちゃ「プラレール」の線路の色の青を出願。同社は59年の発売時からレールにこの色を使っており、広報担当者は「プラレールといえば青色。登録でブランドイメージをさらに向上させたい」と強調する。セブン−イレブン・ジャパンも、コンビニエンスストアの店舗に使うオレンジ、緑、赤の3色の組み合わせを出願した。特許庁の審査を経て、数カ月後に順次登録される見通しだ。

しかしこういう個別の出願って、特許庁守秘義務があって公表できるわけないですから、各社自ら発表してるんだと思うんですけど、わざわざ発表するのって大丈夫なんでしょうか。敵に塩送るようなもんというか、ヒサミツとかはほぼ確で登録できるんでしょうけど、青のプラレールとか微妙な気がします。競合他社がそんなん知ったら情報提供だか登録異議申立だかの準備はじめるような気がしますけど。

というのはさておき、知財職に従事するトライアスリートビアンキ乗りとして、ビアンキのチェレステって色の商標として登録されるのかなとフト思うわけです。で、まあ出願したら、され得るんじゃないですかね。しない気がしますけど。

ビアンキのチェレステはこれです。この青のような緑のような独特の自転車の色、この色をチェレステといいます。

チェレステ(Celeste)というのはイタリア語で碧空とか天空とかいう意味らしく、ビアンキ創業者で自転車職人のエドアルド・ビアンキが19世紀に当時のイタリア王妃のために自転車を制作して献上して自転車の乗り方を指導した際の、王妃の美しい目の色、という伝説があります。いい話ですね。この色をチェレステと呼ぶこと自体がビアンキ独特の文化だろうと思います。ウェブなんかでのカラーコードはPantone 333(#54dbc2)(C38/M0/Y27/K0)(■■■■■)ということになってるようです。

この色は自転車の需要者にとって、ビアンキだという識別力を発揮しています。街中でみかけたロードバイクやクロスバイク、マウンテンバイクなんかの自転車のフレームがこの色なら、ああビアンキだな、と思います。フレームの「Bianchi」の文字やマークがみえていなくても、です。

例えばウチの4歳娘さえも、もはやこの色を「チェレステ」として把握していて、先日、花見にいった時にテントの色をみて「このテント、チェレステだね」といっていました。さすがビアンキ乗りの娘。

まあさすがに指定商品「テント」についてチェレステカラーの「色のみからなる商標」は識別力なしだと思いますが、指定商品「自転車」についてチェレステカラーの「色のみからなる商標」は識別力あると思います。3条2項の適用を受け得ると思います。

とはいっても、他のメーカ(ルイガノとか)で似たような色の自転車もありますし、普通のママチャリでもこういう色のはあります。そういう意味では普通の色であるともいえると思いますから、26条の適用があったり商標的使用態様じゃなかったりして、権利行使はできないというか、し難いだろうなと思います。

しかし色ってのは、組み合わせならまだしも、一色ってのは権利化してもほとんどの場合に権利行使が難しいような気がしますが、どうなんでしょうか。

ちなみにこの自転車の色をチェレステと呼んでるのは独創性もあるし識別力もあると思いますから、指定商品「自転車」の商標「チェレステ」をビアンキが出願すれば登録できると思いますけど、プラットパットをぷらっと叩いてみると、してないですね。さすがに「ビアンキ」については商標登録されてます。商標登録「ビアンキ」の名義人は「グリマルディ・インドゥストリ・アクチボラゲット」となっていて、スウェーデンの、サイクルヨーロッパの親会社ですね。

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余談ですが、例えば元切込隊長のやまもといちろうさんのブログ背景の緑色も識別力あると思います。あのブログは業としてやってるといえると思いますし、役務の限定の仕方が難しそうですけど、ブログ背景とかでうまく特定して「色のみからなる商標」の出願したら登録され得るんじゃないですかね。しないでしょうけど。

ウェットスーツ比較(トライアスロン×サーフ×スクーバ)

トライアスロンのスイムのパートは海を泳ぐんですが、だいたいの大会がレギュレーションでウェットスーツ着用必須になってます。私はサーフィン用のウェットスーツをもっていたので、まあ同じようなもんだろということでそれを着て出ていたんですが、サーフィン用のウェットスーツとトライアスロン用のウェットスーツとの違いはなんなんだろうな、というのは疑問に思っていました。人に聞いてみたりggったりしてみても、わかるようなわかんないような感じでした。で、このたびついにトライアスロン用のウェットスーツを手にいれたところ、ああなるほどここが違うんだな、と自分なりに思うところがあったので書いておきます。スキューバダイビング用のウェットスーツも持っているので、ついでにこれも比較してみます。

機能的なところの結論をざっくりいうと、
(動きやすさ) サーフィン > トライアスロン > スキューバ
(保温性) スキューバ > サーフィン > トライアスロン
(着脱のしやすさ) トライアスロン > サーフィン > スキューバ
といったところでしょうか。


左から、トライアスロン用、サーフィン用、スキューバ用です。
// この写真、PCでみると普通にみえるんですが、ケータイからみると縦横が逆になって表示されるようです(2015/3/29時点)

トライアスロンのウェットスーツというのは、保温もありますが主な趣旨は安全のためのようです。ウェットスーツは浮くので、着てると浮きます。クロールで掻くわけなので肩回りは動きやすいようになっている一方、足はバタ足という単純動作なので動きやすさはそこそこです。また、トランジションを早くするために着脱しやすいように工夫されています。
サーフィンのウェットスーツは、肩回りもブンブン動きたいですし、腰回りもブンブン動きたいですし、足回りもブンブン動きたいです。というわけで、全身できるだけ動きやすいように工夫されています。
キューバのウェットスーツは保温が命です。動きやすさはあんまりいりません(スキューバではむしろより動かない方がよりスキルが高いともいえる)。

パーツの数

ウェットスーツはいくつかのパーツからできていて、各所に繋ぎの部分があります。一番右のスキューバのでいうと、白い線の部分が縫い目の部分です。首、腕、胴体の部分が分かれていて、足の部分さらにいくつかの部分に分かれています。基本的には、このパーツが多ければ多いほど動きやすいということになります。スキューバはあんまり動かないので腕なんか1パーツですが、サーフィンのもトライアスロンのも、写真からわかりにくいかもしれませんが肩から腕先にかけていくつかの切り込みがあって、いくつかのパーツでできています。サーフィンのは腰部分にも切り込みがあるし足もいくつかのパーツに分かれていますが、トライアスロンのは下半身は腰から膝まで1枚、ひざ下で1枚と、サーフィンよりパーツが少ないですね。

生地

ウェットスーツの生地にはゴム(スキン)とジャージがあります。基本的にはゴムの方がより柔らかく動きやすく、保温性が高いですが、傷んだり破れたりしやすく、料金が高いです。ジャージの方が伸びにくく動きにくく、水がしみてくるぶん保温性が低いですが、丈夫で、安いです。
トライアスロンのウェットスーツは、全体がゴムです。動きやすさ重視ですし、ジャージで水を吸いながらだと推進力的にもブレーキになるからだと思います。サーフィンのウェットスーツももちろん全体ゴムのもありますが、私のこれはパーツごとにゴムだったりジャージだったりします。胴体部分とかはゴムで、青い部分はジャージです。

厚さ

厚い方が保温性は高いですが、動きにくいです。スキューバはあんまり動かないし保温命なので全体として厚い(5mm〜)です。薄い方が動きやすいので、サーフィンのやトライアスロンのは、胴体部分には厚め(3mm〜5mm)の素材を使いつつ、肩から腕にかけては薄め(〜3mm)の素材でできています。サーフィンでは足もバンバン動かしたいので股のあたりから下はやっぱり薄めになっているのに対し、トライアスロンのは、下半身を浮かせやすくさせるためもあり、ヒザまでガッツリ厚いです。

足部分の長さ

トライアスロンの大会なんかで他の選手たちのをみていて、なんだかみんなウェットスーツがくるぶしのけっこう上まででツンツルテンだな、サイズあってないんじゃねーの、とか思っていたんですが、どうやらわざとのようです。その方が脱ぎやすいからだと思います。また、トライアスロンのウェットスーツの足の口部分は、脱ぎ易いように、後側が緩やかに逆V字の切り込みが入ったような形になっています。

首周り

写真からわかりにくいかもしれませんが、サーフィンのとスキューバのとは首回りの部分が襟というかハイネックのように首まできていて、かつ厚くなっていて水ができるだけ入らないようになっています。これに対し、トライアスロンの首周りは、Tシャツのような感じにバックリとしていて首部分まできていません。

ヒザ当て

サーフィンのとスキューバのはヒザ当てがありますが、トライアスロンのはないですね。サーフィンもスキューバも通常動作のうちにヒザをつくところがありますが、トライアスロンの通常動作では泳いでいるだけのはずなのでヒザつかないからいらないということなんでしょうか。

背中ジッパー部分の切り込み


首後ろのジッパー部分の切り込みの長さは、長い方から順にトライアスロン、スキューバ、サーフィンとなっています。トライアスロンの切り込みが長いのは、切り込みが長い方がより早くバカッと開いてズルっと脱ぎ易いからでしょう。ジッパーのヒモもトライアスロンのがいちばん長いです。後ろ手に探って見つけやすいからでしょう。最近のサーフィン用のウェットスーツは被るタイプのノンジップが主流になってきてますが、あれは着脱するのにそれなりに気を遣うので、トランジションで一刻もはやく、かつ雑に脱ぎたいという場面があるトライアスロンにはあまり向かない気がします。

というわけで、同じようなもんではあるもののけっこう違うといえばけっこう違う感じですね。

オマケ

ちなみに、トライアスロンのウェットはだいたいフルスーツ(長袖長ズボン)かロングジョン(袖なし長ズボン)です。私はサーフィン用のシーガル(半袖長ズボン)(しかもジャージ)でトライアスロンレースに出たことがあって(しかも会場でジッパーが壊れて閉まらなくなってしょうがないから背中開いたまま泳いだ)、レギュレーション的にダメとかいわれないかドキドキしましたが大丈夫でした。意外と大丈夫じゃん、と思ってタッパ(上半身だけの半袖)と下半身はトライスーツだけでいったこともあります。近くにマーシャルがいたんですが何も言われなかったので、まあ大丈夫なのかなと思います。

ITレジェンド伝記本をいくつか読んだので感想など

立て続けにITレジェンドの伝記本をいくつか読んだので感想など。ネットでダウンロードできるリチャードストールマン以外はすべて茅ヶ崎市立図書館で借りて読みました。図書館万歳。

順番はなんとなく読んだ順です。

スティーブ・ウォズニアック

アップルを創業したダブルスティーブの一人。コンピューターといえばデカいメインフレームだった時代に、天才的な回路設計でコンパクトでシンプルでクールなパーソナルコンピューターApple Iを自作して宇宙に衝撃を与えた。お茶目で気さくな親しみ易い人柄が滲み出たエッセイのような自伝で、完全にやり過ぎながら悪びれないイタズラの数々の告白にこっちがハラハラするわマジで。子供好きのウォズが発明した遊び「フライングツアー」、ウチでもやらせてもらってます。

スティーブ・ジョブズ

大事なことはLSDから学んだ、と公言してはばからないエキセントリックでエレクトリックなヒッピー。芸術と技術の交差点で点と点をつなぎ続けた。生い先長くないと思ったからなのか、癌が発覚した後の数年間にジャーナリストを密着取材させて書かれた生々しく誠実なルポ。デザインにこだわりまくった彼が、ガンに苦しむ病床で着けられた呼吸マスクを自ら剥ぎ取り、「こんなダサいマスクしてられるか、しょうがない違うデザインのものを5種類もってこい、その中から気に入ったのを選ぶから」と言い放ったエピソードはガツンときました。

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ II

スティーブ・ジョブズ II

グーグル

ITバブルの焼け野原から立ち上がった検索の巨人がインターネットの頂点に立つまでの、2006年の絶頂期にかかれたサクセスストーリー。創業初期のサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジの2人がバーニングマンというお祭りにいったエピソードがででくるんですが、すごい。砂漠の中に巨大な木の人形をつくってそれを中心として何万人という人が集まってそれぞれにパフォーマンスをしたりバカ騒ぎをしながらテント張ったりして数日過ごし、最後に木の人形を燃やして絶頂を迎えておしまいという。なんだそのお祭り。こういうバカになりきれるのがアメリカの強さだよなと。

Google誕生 ?ガレージで生まれたサーチ・モンスター

Google誕生 ?ガレージで生まれたサーチ・モンスター

ビル・ゲイツ

学生の時のBASICの開発から、MS-DOSWindows、word、excelときてWindows3.0で世界を制したパソコン革命の寵児。この伝記本が書かれたのは1992年なので、Internet Explorer以前、Windows95以前の話なわけですが、この時点で既に史上最年少36歳の米国富豪番付第1位、帝国の天下統一は始まっていたことがわかる。
マイクロソフト共同創業者のポール・アレンは、創業利益で大富豪になるも大病を患ってマイクロソフトから退いたという話ですが、さいきん戦艦武蔵を発見したというニュースがありましたね。お元気そうでなにより。

ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男

ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男

フェイスブック

SNSの覇者、フェイスブックを率いるマーク・ザッカーバーグの栄光と孤独。リアルタイムで使っているフェイスブックのあの仕様やあの機能の歴史や思想みたいなものがみえて興味深い。「自分の家の前で死んでいくリスのほうが、アフリカで死んでいく人たちのことよりも、 たった今は重要かもしれない」って、うーん、わかるよ。広告ビジネスがフェイスブックを食うというよりもフェイスブックが広告ビジネスを食っていく感じが、なんというか小気味良いですね。

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

ゴードン・ムーア

インテル創業者。ソニーにおける井深大のような立ち位置でしょうか。IT革命的なことを語る本では一度は出てくる「ムーアの法則」の言い出しっぺの人。ムーアの法則は、集積回路の単位面積あたりのトランジスタ数は2年で2倍になる(≒コンピューターのハードウェア性能は2年で倍になる)的なもの。上記グーグル本では、サーゲイ・ブリンだかラリー・ペイジだかがグーグル初期に、ソフトウェア理論的には可能でもハードウェア処理的に追いつかないような壮大な計画を描き、「大丈夫。ぼくらにはムーアの法則がついてる」と言う場面があった。そんなゴードン・ムーア日経新聞の「私の履歴書」に連載していたことがあったらしく、この本はその連載をまとめて加筆したもの。
カリスマ技術者にしてインテルにおけるもう一人の井深大ロバート・ノイスが、あるトランジスタの改良発明について特許とっとくべきと思って特許弁護士と相談したところ、特許弁護士に「このアイデアで他になにかできるのではないか」といわれたことがきっかけとなってIC(集積回路)を発明したというエピソードは、特許業界に身を置く者としてはニヤリとするものがありました。

インテルとともに―ゴードン・ムーア 私の半導体人生

インテルとともに―ゴードン・ムーア 私の半導体人生

ラリー・エリソン

オラクル創業者で、ITレジェンドきってのリア充。夜中に恋人とドライブしてて通りかかった屋敷が気に入って住人を叩き起こし、その場で400万ドル渡して手に入れた屋敷に入ってセックスに耽った、というマンガにでてくる大富豪のような伝説がシリコンバレーでは語られているらしい。
ヨットレースで優勝したりハワイ・ラナイ島の98%を個人所有したりしているラリーエリソン、下巻の前半に3ページ弱くらい使って、ボディサーフィンやってて大怪我をしたエピソードがあるんですが、大波に巻かれて体の骨がボキボキ折れていく際の描写がリアル過ぎてビビる。こわいこわい。ところで映画マトリックスにでてくる預言者をオラクルオラクルいってるのってこのオラクルを示唆してると思うんだけど、だからなんなのかはよくわからない。

カリスマ〈上〉

カリスマ〈上〉

カリスマ〈下〉

カリスマ〈下〉

アンディ・グローブ

フェアチャイルドセミコンダクタ時代のゴードン・ムーアの部下の技術者で、インテル創業に参画して天才的な経営能力を発揮した。ソニーにおける盛田昭夫のような立ち位置でしょうか。"only the paranoid survive" の名言で知られるシリコンバレー重鎮の痛快サクセスストーリーのつもりで読み始めたら、幼少期の背景となったハンガリーユダヤ人迫害の重い話が冒頭からえんえんと続いてナーバスな気持ちに。他の伝記の著者がジャーナリストであることに対して、この著者はハーバード大学院の経営学教授だからなのか、なんとなく固い感じ。
アンディグローブはもともとジャーナリストを目指していたことがあったらしく文章が達者で、自身でいくつか本を書いていて自伝本とか経営本とか半導体技術の入門書もあるらしい。それも読んでみたいですね。

アンディ・グローブ[上]―修羅場がつくった経営の巨人

アンディ・グローブ[上]―修羅場がつくった経営の巨人

アンディ・グローブ[下]―シリコンバレーを征したパラノイア

アンディ・グローブ[下]―シリコンバレーを征したパラノイア

リチャード・ストールマン

emacsgccなどを開発したレジェンドプログラマにして、フリーソフトウェアムーブメントの尊師。ハーバード学部を首席で卒業かつ数学大会で優秀成績をおさめ大学院選り取りみどりな状態で、リア充かつコミュ力高いハーバードに疎外感を感じ、geekyかつnerdyなMITにシンパシーを感じて移籍、ネットでいうところのいわゆる厨二病を炸裂させて強烈な使命感からフリーソフトウェアムーブメントに猛進する納得の過程が明らかに。
ここはさすが尊師、インターネットでフリー(無料)で読めます…っておっと誰か来たようだ
自由としてのフリー(2.0)リチャード・ストールマンと自由ソフトウェア革命

Free As in Freedom: Richard Stallman's Crusade for Free Software

Free As in Freedom: Richard Stallman's Crusade for Free Software

アラン・ケイ

IT革命前夜にパーソナルコンピューターというビジョンを発明した永遠のSF少年。これは伝記というよりは、メインはアランケイの論文集で、最後にオマケ的に伝記的な評伝がついてる。
上記ジョブズ本では、アランケイゼロックスのパロアルト研究所で試作したパーソナルコンピューター、アルトを見学に来たスティーブジョブズが衝撃を受けたことがきっかけとなってマッキントッシュを開発したエピソードがあるし、上記ゲイツ本では、ビルゲイツがやはりパロアルト研究所に見学にきて衝撃を受けたことがきっかけとなってウィンドウズを開発したエピソードがある。ジョブズゲイツがマルチウィンドウシステムをパクったといって怒り、ゲイツはそもそもジョブズのだってアランケイのパクリじゃないかと反論するわけだが、この本では、アランケイもやはり先人の偉大なプレゼンテーションに衝撃を受けてアルトを開発したエピソードが語られる。いやあ、技術というのはまさに累積的に進歩するもので、パクったとかパクられたとか揉めてもしょうがねーじゃねーかという気がしてしまいますね。

アラン・ケイ (Ascii books)

アラン・ケイ (Ascii books)

トーマス・ワトソン・ジュニア

IBM創業者の息子にして、オフィス機器メーカーだったIBMを不動のコンピュータメーカにバージョンアップさせたIBM二代目社長の自伝。すげードラマ。アイルランド移民としての父親のアメリカ旅回りセールスマン生活からの栄枯盛衰、世界恐慌、信頼と裏切り、第二次世界大戦、自信と誇り、ファミリーの絆。スコセッシかコッポラの映画観てるような気分。
IBMは上記ほとんどすべての伝記でコンピュータ界に君臨する官僚的絶対権力として登場しているが、その絶対権力ももともとは同じように苦節と努力と逆転の物語の末に成り立ってることがわかる。

IBMの息子―トーマス・J.ワトソン・ジュニア自伝〈上巻〉

IBMの息子―トーマス・J.ワトソン・ジュニア自伝〈上巻〉

IBMの息子―トーマス・J.ワトソン・ジュニア自伝〈下巻〉

IBMの息子―トーマス・J.ワトソン・ジュニア自伝〈下巻〉

マイケル・デル

大手コンピュータメーカが売ってるコンピュータはブランド料やら小売業者等の仲介手数料でやたら高くなってるんで、自分で同じ部品買ってきて組み立てたら同じ性能のものが効率良く安く作れるしそれ安く売ったらみんな嬉しいんじゃないの、ということに初期に気付いて実行した人。デル成功の秘訣は、何をやったかではなく、何をやらなかったかというところにある、という話は興味深かったですね。いわゆるダイレクトモデルというもの自体はそんなに革命的な発想なわけでもないとしても、それをやって小売は一切やらないということを徹底できたのはデルだけだったと。ふーむ、なるほどなるほど…。

デルの革命―「ダイレクト」戦略で産業を変える

デルの革命―「ダイレクト」戦略で産業を変える

ジャック・マー

中国発のパラノイアカンパニー、阿里巴巴集団(アリババグルーブ)を創業した馬雲(ジャック・マー)の強烈な下剋上。株主オリエンテッドな現代ビジネス社会において「顧客第一、社員第二、株主第三」を掲げて投資家からバッシングを受けつつも、ひるむことなく「会社の目的は顧客を満足させること、そのために必要なのは社員の努力と知恵、株主の利益はその結果」と払い除けてガンガンいく。「ハーバードやスタンフォードはじめとする色んな大学のMBAを使ったけどほとんど使えない」などと公言してアメリカ文化にケンカ売りながらもニューヨーク証券取引所に上場、史上最大規模の資金を調達して時価総額フェイスブック、アマゾン、IBMインテルなどの超有名企業をゴボウ抜き。このスタイルでどこまで突き抜けるのか、非常に興味深いところ。
この本は中国のIT企業や登場人物がたくさん出てくるんですけど、正直、聞いたことない人ばっかりだし、著者も訳者も中国の人のようで文章構成もなんか読み慣れない感じで、背景や故事もよくわかんなくてよくわかんなかったですが、なんかすごそうだぞ、とは思いました。

アリババ帝国 ネットで世界を制するジャック・マーの挑戦

アリババ帝国 ネットで世界を制するジャック・マーの挑戦

ジョニー・アイブ

スティーブ・ジョブズが全幅の信頼を置き、シンプルかつユーザフレンドリなコンセプトをインプリメントしてアップルを救ったイギリス紳士のデザイナー。
学生の頃から卓越したデザインの才能を発揮し、数々の賞を取ったりして認められながらアップルのデザインチームに加わるもそんなに大成功するわけでもなく、悶々としていたときにアップルに復帰したジョブズに見出され大きく道が拓けていく。…と、ここまではジョニーを中心に話が進んでいくんだけど、その後の中盤以降の主体はアップル自体や経営陣や他のデザイナーとかの話ばかりでジョニーあんまり出てこない。なんというか既にどこかにあるインタビューや逸話を寄せ集めた感はありましたね。やっぱり色々秘密ってことなんでしょうか、アップル。
ちなみにこの本、新刊だったんですが茅ヶ崎市立図書館にリクエストしたら買ってくれました。茅ヶ崎市立図書館万歳。

ジョナサン・アイブ

ジョナサン・アイブ

デービッド・パッカード

ビル・ヒューレットともにヒューレット・パッカード(HP)社を戦前に創業したエンジニアの自伝。ビルとデービッドの創業当時の作業場だったガレージはカリフォルニア州の史跡として「シリコンバレー発祥の地」の記念碑が建てられており、HPの創業がシリコンバレーの起源ということになっているらしい。あんまりコンピュータコンピュータいってるわけではなく、あくまでも電気電子系のエンジニアリング企業として、その一環として(ある意味仕方なく)コンピュータもやり始めたみたいな感じ。エンジニアを信頼して大切にし、エンジニア主導の経営、フレックスタイム、ストックオプション、社会への貢献(CSR)などのカルチャーをポジティブに西海岸に創り出した、らしい。上述のウォズ本、ジョブズ本では、もともとスティーブ・ウォズニアックもHPで働くエンジニアで、ジョブズが熱心に起業を誘うけどHP居心地良いからといって渋るエピソードがありましたね。
前半の創業までのエピソードでは子供〜学生時代が語られていて、聡明な両親のもと恵まれた裕福な家庭に育ち、成績優秀、大学時代には複数種目のスポーツで優秀選手に選ばれ運動部に引っ張りダコでフットボールにいれこんで友達もたくさんいるという、ジョナサンジョースターの大学時代を彷彿とさせる万能系リア充だったようです。
有能な後継の社長としてジョン・ヤングの名がでてくるんですが、そういえばアメリカ主導プロパテントの発端となったヤングレポートをレーガン政権に提出した人は、HPの元社長なのだな…。デービッドも大統領と仲良かったり一時期はHPを離れて国防総省次官を務めるなど、ロビイングも積極的に行っていてさすがのスケールのデカさ。読んだ伝記の中で戦前から続いているのはIBMとHPですが、どちらも飛躍のエピソードとして戦争(真珠湾からの第二次大戦)がでてくるのが印象的でした。

HPウェイ[増補版]

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  • 作者: デービッド・パッカード,David Packard,(序文)ジム・コリンズ,Jim Collins,依田卓巳
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ビル・ジョイ

BSDやviエディタを開発したレジェンドプログラマで「UNIXの神様」、SUN創業メンバーでありJAVA開発メンバー。ビルジョイの伝記かと思ったらそういう感じではなくて、コンピュータの技術的、思想的な進化の歴史の話。二進法を現代数学に持ち込んだライプニッツまで遡って、2000年頃までのコンピュータソフトウェア進化のエピソードとキーパーソンの名前がものっそい出てきます。本もデカイ。ビルジョイの伝記が読みたくて読み始めたのにタイトルに偽りありだなと思って読んでたんですが、そういうもんだと割り切って読んでみればすごく勉強になりました。

ビル・ジョイの冒険―ネットワークをコンピュータにした人々

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ツイッター

ツイッターを生み出した4人(エブ、ノア、ジャック、ビズ)を軸としたルポ、というか小説仕立てのノンフィクション小説。創業者間の泥沼闘争が生々しいですが、同時代性あるしなんだか等身大で身近に感じますね。上記グーグル本にもありましたが、これでもバーニングマンいったという話がチラッとでてきました。
前半ではジャック・ドーシーのカリスマっぷりがキレキレ、もともと言語障害で鼻ピで全身刺青だらけでファッションデザイナーを目指していたパンク好きにして、凄腕ハッカーツイッター創業者でスクエア創業者のビリオネアで、いまやウォルトディズニーの取締役だなんて…!と思っていたら、後半でツイッターを追い出されてスティーブジョブズワナビーになっていったあたりからちょっとゲンナリでしたが、これからどうなるんでしょうね。

ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り

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ジェフ・ベゾス

ロングテールフルフィルメントセンターなどでEコマースの密林を切り拓いた奇才。早いうちから宇宙開発に傾倒し、2000年には利益度外視の民間宇宙開発企業を立ち上げているらしい。ポールアレンとかホリエモンとかもそうですけど、宇宙開発ってのは金持ったギークにはたまらない趣味みたいですね。

ジェフ・ベゾス 果てなき野望

ジェフ・ベゾス 果てなき野望

フォン・ノイマン

現代コンピュータ科学の礎を築いた天才数学者。フォンノイマンてなんとなく気難しいマッドサイエンティストだと思っていたら、愛想よく人当たりの良い気さくな人気者だったらしい。天才的な数学能力で物理学、経済学、計算機科学、気象学等に切り込んで様々な分野をネクストレベルに押し上げた。ノイマン型コンピュータの論文を発表してコンピュータをさらにつぎの次元に押し上げるために生体医学の研究者に会いまくって医学の成果をコンピュータに持ち込むことを考えていた頃にがんを発症。あと10年ノイマンが生きて考える時間があったら、今のコンピュータはさらに異次元に進んだ全然違う構造になっていたのかも…とかちょっと思っちゃいますね。
フォンノイマンが問題を解く時は、部屋の隅に行って壁と壁の合わせ目をじっとみつめ、ぶつぶつ言いながら身じろぎもしないというスタイルだったらしい。今度から発明検討するときとかに真似してみようかな。

フォン・ノイマンの生涯 (朝日選書)

フォン・ノイマンの生涯 (朝日選書)

アラン・チューリング

…の話かと思ったら、チューリングの話は18章中の1章分だけ。主にはチューリングの理論を基にして実用コンピュータを具体化するアメリカの研究、特にプリンストン高等研究所の話。ライプニッツが17世紀に計算と論理は0と1だけで表現できることに気付き、20世紀に入ってからアラン・チューリングがあらゆる計算が可能なデジタルコンピューティングの理論を数学的に証明、からの、各種の研究成果を集約して英雄フォンノイマンのチームが実用コンピュータ技術の聖書となるノイマン型コンピュータコンピュータの論文を発表するという流れ。ジョン・フォン・ノイマンの一番下の弟、ニコラス・フォン・ノイマン弁理士だったんだってさ。
チューリングは決定不能な問題を解く謎のコンポーネントを理論上想定し、これをオラクルマシン(神託機械)と呼んだらしい。そうか、マトリックスに出てくるオラクルはラリーエリソンのあれではなく、チューリングのこれなんだな。

ルイス・ガースナー

1990年代、IBMの危機を救った経営者。
コンピュータ創世記から絶対的黒幕として君臨してきたIBMが、マイクロソフトインテルにおいしいところを持って行かれて瀕死の状態だったところ、なんだかんだいってIBMの敗北はアメリカの敗北を意味する、として大統領まで巻き込んで改革者を探す騒動の末、IBMのCEOを引き受けた。情報技術に明るかったわけではないが、卓抜した経営者としてIBMの組織と事業リファクタリング。ハードウェアにこだわらず一気通貫でシステムサービスを行うSI事業に活路を見出し、20世紀のIBMから21世紀のIBMへと変身する納得の過程が書かれています。

巨象も踊る

巨象も踊る